最下層の魔術師
階段のない国


 リーファ・シャーナ・シュライゼ。明らかに危ない感じで、見た目も中身も怪しい男、シュウと共に旅することになってしまった魔術師。
 リーファは溜息を吐いた。気に入られてしまったいることは、間違いないだろう。この男は異様に上機嫌だ。
 別に、森の中をぼけっと歩いている今ならば、いつでも抜け出せるのだが、リーファは約束は守る主義である。第一、この男を野放しにしておくのは危険だ。それに、逃げたところで、こういう厄介な奴ほど、しつこいと決まっている。
 剣士としては一流らしい。兵士を、無傷で絶滅させたぐらいだ。その点では信頼できた。しかし、ある意味それが厄介だった。
 刃物を持った幼子は危険だ。リーファにとっては、この男はそれ以上に思えた。とりあえず、リーファの中で、シュウは人間ですらない。かと言って、動物にするのも、動物に迷惑に思えたが、少なくとも人間と部類に入れるよりは、遥かに良い選択であろう。
 シュウは真っ直ぐと歩いていた。しかし、リーファにはどこに行くかが分からなかった。
「どこへ行くつもり?」
「エーゼの町だな」
 知らない町の名前だ、とリーファは思う。牢獄で十年も過ごしていたのだから、然程不自然なことでもないわけだが。
「何をする?」
 そう尋ねると、シュウは振り返り、にやりと口元を歪めた。
「当たり前だろう。町の人間を全滅させる」
「私の話聞いていた?」
 次の瞬間、光魔術が炸裂したのは言うまでもない。


 町に着くまでに、三回ほど戦いがあった。勿論、それはリーファとシュウのものである。三回目に漸く、気に入らなければ言葉で言い合い、できる限り相互不干渉という条約が締結された。一応、二人とも二十越えの大人である。
 二人の食事は森の果実、魚、獣で済ませられていた。リーファは、魔法で獣を捕え、肉を切って小枝に刺して焼く。綺麗に剥ぎ取った皮は大きさを整えて、蔦でまとめておく。シャーナは、動物の死体や人間の死体を扱う仕事をする、と決められている。否、そのような人に忌まれる仕事をしていたからこそ、シャーナになった。よって、リーファは非常に手際が良かったし、剥がした皮は、おそらくシュウが売れば、結構高値で売れるであろう出来栄えだ。
 そういうわけで、二人はある意味利害が一致していたのである。
「それで、どうやって破壊する?」
 皮を背負いながら歩くリーファは、シュウに尋ねる。
「言ってるだろ。全員皆殺しが、手っ取り早いって」
「女子どもまで殺す気?」
 リーファは鋭く聞き返した。
「一番厄介なのは、女子どもだぜ」
 シュウの歌うように発せられたその言葉に、リーファは口を閉ざす。ご尤もだ。
「大体、シャーナの手前に説得力はねぇから」
「シュウは?」
「別に異人ってわけでもねぇけど、変な刻印はないぜ。まぁ、シャーナよりはずっと良いけどよ」
「悪かったね、シャーナで」
 リーファが睨み付けると、シュウは人の悪い笑みを浮かべた。


 町に着くと、リーファは、シュウと森で会う約束をして、自身もすぐに森に入った。シャーナというだけで、不快な思いをするのは御免だった。大体、金もないのに町に入って、何をするのかも分からない。
 暫くすると、シュウがやって来た。シュウと共にやって来たのは、血の臭い。
「誰か殺してきた?」
「殺しちゃいねぇ。出し惜しみをするノルナがいたもんでさぁ、ちょっと脅してきてやった」
 ノルナは、兵士高官の身分である。シュウの強さには、リーファはあえて触れない。リーファは、なるべく深入りしないように、と話を変える。
「ところで、肝心のお金の方は?」
「完璧だぜ。服も買ってきた」
 ほらよ、と着物の影に隠れていた服を出す。
 それは、シュウの着ている服と似たような形だった。ただ、その色は、紅ではなく藍色。
「何故、異国風の着物なんだ」
「シャーナだと分からないだろ」
 確かに、と納得する。ふわりとそれを羽織り、草でできたサンダルのようなものを履く。
「それと、良い話も持って来た」
 にやりと笑うシュウに、僅かな警戒心を抱きながら、リーファはどのような話かを尋ねた。
 それは、山に住むドラゴンの話だった。
 ドラゴンは、普通、山から下りてくることはない。しかし、最近、一匹のドラゴンが町を荒らし回っているらしい。そのドラゴンは強く、軍ですら太刀打ちできないらしい。
「シャーナがドラゴンを倒したなんていうことが知れ渡ったら、色々壊れるぜ」
 嬉しそうにシュウは言った。当然のことながら、シュウの嬉しそうな笑みと、人の悪そうな笑みは、ほぼ同義語である。
 山は、森の反対側にあるらしい。リーファは、シュウと共に、町を横断することになった。


 リーファは驚いていた。
 異国風の出で立ちをするだけで、人がこちらを見る目や態度はまるで違う。シャーナは、町を歩くだけでも避けられ、意味もなく蹴られ、殴られる。しかし、異国風の装いだけで、それは一変する。
 奇異な者を見る視線以外は、全く何もない。リーファは、いかに身分制度が表面的なものなのかを再確認した。
「どうした?」
 へー、と思いながら歩いていると、シュウがそれを不審に思ったのか、そう尋ねた。
「いや、道歩いていても、蹴られたり殴られたりしないな、と思ってね」
「お前だったら、やり返すだろう」
「一般人には魔法を使わない主義だ」
 何故かシュウは、目を細めた。リーファが理由を尋ねても、さあな、と答えるだけだった。


 町外れにある山は、鬱蒼と木が茂っていた。そのため非常に薄暗いのだが、牢屋暮らし十年のリーファにとっては、清々しいものだった。
「ところで、何でドラゴンが町を荒らしたりするんだろうね」
 リーファは草木を掻き分けながら、背後を歩くシュウに尋ねる。
 ドラゴンが、町を荒らすなど、聞いたことがなかった。
「破壊したくなったんじゃねぇの?」
「それは君だけだ」
 やる気のない答えは、内容までやる気がなかった。否、内容までやる気がなかったと思いたい、といったところだ。
 本気で言っているとしたら、それはかなり問題である。
 暫く歩くと、小さな花畑に出た。白い小さな花が咲き乱れ、さこだけは木がなく、温かい陽光が差している。
 リーファは、花が嫌いなわけではなかったが、好きなわけでもなかったので、花よりも花畑の真ん中に倒れている幼い少女に目がいった。
 リーファはすぐに少女のところへ駆け寄る。その少女は、人間とは思えない鮮やかな青い髪
と青い目をしていた。目は辛うじて開いている。
 外傷はないようだが、顔色は頗る悪い。
「大丈夫?」
 リーファが声を掛けると、少女はリーファの方へ顔を向けた。
「ミュウ、お腹空いたのー」
 間延びした声に、リーファは思わず少女から目を離し、同じく固まっているシュウの方を見てしまった。


 とりあえず、リーファは取ってあった果物を少女の口の中に押し込んだ。
 少女は少し元気になったのか、混じりけのない幼い笑顔を浮かべて、こう言った。
「ありがとー、お姉ちゃん。でも、ミュウは肉の方が好きなのー」
 ごめんね、と素直に謝るリーファと対照的に、シュウは、心からどうでも良いといった態度だ。おそらく、シュウも花には興味がないだろうが(あっても困る)、少女ではなく、花の方を見ている。それだけ、どうでも良いといった様子だった。
「えーっと、君は人間じゃないよね。精霊みたいな感じ?」
 リーファが尋ねると、少女は、青い瞳を細めて笑った。
「そんな感じなのー。名前はミュウって言うのー。お姉ちゃんと、目つきの悪いお兄ちゃんは?」
「私がリーファで、そっちの男がシュウ」
 きょとんと首を傾げる少女に、リーファはそう紹介した。因みに、シュウは欠伸まで始めている。
「シュウ、女の子だよ」
「流石に、餓鬼は守備範囲外だぜ」
 ふらりと紅い着物を揺らし、シュウは立ち上がる。
「リーファ、さっさと行こうぜ」
 その態度に、リーファは目を細めた。


 ミュウも、リーファに着いてきた。そして、リーファが事情を話すと、目を丸くした。
「へぇー、お姉ちゃんたちドラゴン倒しに来たの?」
 そうだよ、とリーファが微笑むと、ミュウはうーんと唸った。
「ほへー、それは大変だねー」
 異様な程にのんびりとした言葉だった。まるで、意識が他に奪われ、疎かにされたような言葉。
 そして、その言葉の直後、空気がいきなり収束した。
 炎。リーファで直感的にそう感じた。
「ヘスティー・アレア(戦いの炎)」
 ミュウの魔法の詠唱だ。
「二ュクシア・メディス(闇夜の水)」
 相殺した。
 リーファはそう確信し、安心しかけた。しかし、直後、銀が光る。
 ミュウが殺される。
 リーファは目を細める。
「エウリーナ・アルテミー(光明の輝き)」
 第二の魔術を、勘を頼りに叩きつける。それによって、吹き飛ばされたのは、小さな青いドラゴンと、着物姿の男。
「おい、手前っ」
「何か文句があるなら何なりと」
 すぐに起き上がる男に安心しつつ、リーファは歩いて、地べたに寝そべる小さなドラゴンの方へ近づいた。
「私は、事情ぐらいは聞く」
 小さな顔を上げたドラゴンの青い目が、リーファの方へ向けられた。


 ミュウは、再度自己紹介をした。ミューシアという名前のドラゴンで、町荒らしの犯人であるということ。
 そして、その理由は、あるものを見れば分かると言う。ミューシアに着いて山に少し分け入ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
 山積みになって倒れているドラゴン、そして、美しい羽の生えた人のようなもの、天使がその周囲に倒れている。全てが血塗れで、誰一人生きている者はいない。
 人間の血ではないため、特有の鉄の臭いはしない。しかし、その光景は、あまりにも無残で、流石のリーファも、目を逸らしたくなった。
「ドラゴン、昔から、ずーっと森の中でひっそりと生活してきたの」
 ミューシアはそう語りだした。リーファは、初っ端から欠伸を始めるシュウを腕でどつく。
「でも、天使がたくさんやってきてね。ドラゴン、みんな殺されちゃった」
 リーファは目を細めた。そんなことはありえない、と直感的に思ったのだ。何故、ドラゴンが殺されなければならないのか。
 そう思いながら、隣で、殺される方が悪ぃ、などと呟いているシュウを睨む。
「ミュウは、その時お散歩に行ってた。それでね、帰ってきたらこうなってた。ミュウは怒ったよ。ミュウはとっても強いの。天使も強い。でも、天使は油断してた」
 血塗れの死んだドラゴンと、同じく血塗れの天使たち。そんな状況を前に、座り込んで林檎を食べ始めるシュウの手を踏みつけながら(勿論、痛っ、などと言って睨みつけてくるのは無視だ)、リーファは口を開いた。
「ミュウが全部やったんだね」
 ミューシアはこくりと頷いた。
「ミュウは強いけど、まだ一人でご飯は食べれないの」
 果物のない山で、ドラゴンは狩りをしなければいけないだろう。狩りと戦いの強さは違う。
 食い物取れねぇ奴は野垂れ死ぬべきだろ、と呟くシュウの手をぐりぐりと踏みながら、リーファはミューシアに微笑む。
「ミュウ、行く当てもないんだよね。着いておいで……ただ、交換条件がある」
 そして、リーファは小さなミューシアを抱き上げる。ミューシアは、不安げにリーファを見た。
「ミュウと同じぐらいの大きさのドラゴンの死体が欲しいな」
 そう言うと、ミューシアは、快くとまではいかずとも、承諾はしてくれた。
 急に元気になったシュウと、自分にべったりなミューシアと共に、リーファは下山する。
 町に着くと、注がれるのは、さらなる奇異の視線。
 異国風な男女二人と、娘と言っても過言ではないぐらい幼い少女。さらに、男は、神聖レンシス王国では珍しい黒髪で、少女は、人間とは思えないほど鮮やかな青い髪と青い瞳。さらに、三人共恐ろしく似ていない。
 そして、持っているものが、町を荒らしまわっていたようなドラゴンの死体なのだから、すぐに、人だかりができた。
「この町の責任者、呼んでくれねぇか」
 シュウは、近くにいた若い女性に、そうやって声を掛けた。女性は慌てて返事をし、すぐに呼びに行ったようだった。
 ミューシアは人だかりが怖いようで、リーファの足にしがみついていた。リーファが抱き上げると、ありがとう、と小さく言って微笑んだ。
「どうするつもり?」
 リーファは、ニヤニヤと笑っているシュウに耳打ちする。
「まずは責任者だ。できるだけ人を集める。面白いことになるぜ」
 シュウはそう言って、人の悪い笑みを浮かべた。


 やってきた町長は、暫く生活していくのに、十分過ぎるお金をシュウに渡し、何度も何度も礼を言った。
「いや、倒したのは、俺じゃなくて、そっちの魔術師」
「こんにちは、リーファです」
 すると、町長は、はっと目覚めたかのように、リーファに頭を下げ始めた。それが滑稽だったのか愉快だったのか、シュウの笑みは、いつもに増して深い。
「ああ、しかし、町の者の顔も見てーよな」
 シュウはにやりと笑った。リーファは、すぐにシュウの真意を悟る。
「では、町の者たちをお呼びします。噴水広場に……」
 町長の言葉に、シュウはさらに笑みを深めていた。


 噴水広場の演台に、リーファたちはいた。町中の人間が集まる中、シュウは満足げに辺りを見渡していた。
「退治したのは、女性魔術師だって」
「高貴なお方なのでしょうね」
 人々のざわめきの中で、そんな言葉を耳にしたリーファは、あまりの変貌振りに苦笑いした。
 しかし、シュウはそれもまた面白いようだった。そして、静かになった噴水広場で、リーファに耳打ちする。
「名乗れよ」
 リーファは、拡声器の前に立ち、大きく息を吸った。
「始めまして。私はリーファです。ドラゴンを退治させて頂きました」
 轟音のような拍手が湧き起こる。リーファは、ゆっくりと、さらに大きく息を吸う。
「本名は、リーファ・シャーナ・シュライゼ」
 高々と叫び、着物の袖を捲くる。露になったのは、Sの刺青。
 辺りは、水を打ったかのように静かになった。シュウはこれ以上になく、彼らしい笑みを浮かべていた。
 リーファは、シュウと目配せする。そして、ミューシアを抱き上げて、さっさと演台から降りた。
「あいつらは、俺たちを騙したんだ」
「あのドラゴンだって贋物だ」
「シャーナに、ドラゴンが退治できるはずがない」
 背後の怒鳴り声。それは、早足で町を後にするリーファたちにとって、負け惜しみにしか聞こえなかった。
 彼らは当然知っているのだ。二十六階級の中で、四番目の学者階級、オペックの人間が、リーファたちが持って来たドラゴンを、本物だと言い切ったことを。


 リーファたちは、森のかなり奥に入ったところで、野宿をすることにした。
 リーファは魔術を駆使して、適当な動物を狩り、手際よく調理した。ミューシアは目を輝かせてそれを見ていた。
 できた料理も、ミューシアが美味しそうに食べるので、リーファが、シュウよりミューシアの取り分を多くすると、シュウは黙り込んだ。怒っているらしい。当然のことながら、リーファは全く何もせずに、シュウを放っておいた。
 そして、本日の出来事の事情が掴めず、疲れるだけ疲れたミューシアは、すぐに眠り込んでしまった。
 夜は深い。そんな中で、リーファは木々の狭間から天を仰いでいた。シュウは木の幹の分かれ目のところに座り、長い手足をだらりと垂らしている。
「手前、あれで良かったのかよ」
「何が?」
 上を見上げる。シュウが顎でしゃくっていたのは眠っているミューシアだ。
「何で?」
 そう尋ねると、シュウは切れ目を、僅かに丸くした。
「手前を裏切っただろ」
「いつ?」
 リーファは分からなかった。ミューシアが自分たちを攻撃してきたのは、危険を感じたからである。裏切ったわけではない。
「もう、良い」
 シュウはそう言って、ぶらりと手足を動かす。しかし、リーファは納得いかなかった。
「ミューシアが裏切ったと思ったわけ?」
 そう尋ねると、シュウは天を仰いだまま、呟いた。
「面倒だ」
「は?」
「面倒な奴だぜ。手前は」
 もう、俺は寝るからな、とだけ言って、シュウは何も言わなくなった。


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