最下層の魔術師
偉大なる神への宣戦布告


 美しい大理石の宮殿の小椅子に、一人の青年が座っていた。亜麻色の髪に、鳶色の瞳。透き通るような白い肌に、黒い大きな羽根が冴える。
「それは、困りましたね」
 冷たい床に伏せている天使たちに、青年は、その温かみのある鳶色の瞳を向ける。しかし、その光は冷たい。
「それほどまでに、そのドラゴンは強かったのですか?」
 ええ、と一人が答える。青年は、目を細めた。
「それで、そのドラゴンの行方は、確認してあるのでしょうね」
「実は、シャーナの魔術師と、あの男と……」
 その言葉に、青年は声を出して笑う。冷たい空間に、青年の笑い声だけが響く。
「あの男ですか。それは困りましたね。あの男の所為で、同胞の半分が死にました」
「笑い事ではありません」
 静止の声を聞かず、青年は、なお笑い続ける。
「貶められた者は、どこまでも堕ち続けます。自分を貶めた者を、陥れるために」
 そこで、青年は急に笑うのを止めた。さらりと、亜麻色の髪を揺らし、ゆっくりと立ち上がる。
「その前に、僕が裁きを行いましょう」
 青年の、男にしては高い声が、白亜の宮殿に木霊する。
「神の御加護を……ビアンカ様」
 美しい黒と白のコントラストに支配された空間に、天使の合唱が響いた。


 魔術師リーファ・シャーナ・シャライゼと剣士シュウ、ドラゴンミューシアの、怪しい三人組で旅をするようになって、早くも数日が経とうとしていた。
 彼らは、そのほとんどを深い森林で過ごした。否、彼らは森林の中で迷っていた。しかし、特に困ることもないので、三人はのんびりと森を彷徨っていた。
 そして、リーファは、数日の間にいくつかのことに気付き始めた。
 まず一つ、食事についてだ。リーファは、小食というわけではない。それでも、細身だが、成人男性であるシュウには、当然負ける。
 しかし、ミューシアは別だ。彼女は、リーファどころか、シュウ以上の大食漢だった。特に肉が大好物で、唯一の救いは、調理法や味に拘らないことである。
 そして、もう一つ。シュウの身体能力と、リーファの魔術を超越する力を、ミューシアが持っていることだった。
 戦闘の回数では、二人の方が断然上のため、ミューシアが勝てなかっただけだった。ミューシアの使う自然属性の魔術は、災害レベルであり、その身体能力や力は、人間の限界以上のものだった。しかも、困ったことに、ミューシアはリーファの役に立ちたいお年頃。森が火の海にならないように、ミューシアを止めることに、リーファは苦労した。
 さらに、数日一緒にいれば、お互いのことも分かってくるらしい。シュウは、ミューシアに対して無関心だったが、ミューシアもシュウに絡むことはなかった。リーファは、両方とも話せるが、三人で喋る必要性も感じなかったし、何より、ムードメーカのようなことはできないため、日中はミューシアと喋り、夜はシュウとポツポツ喋った。


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 リーファは地面に文字を書いていく。ミューシアは、ぽかんと口を開けてそれを見ている。
「この国の身分の頭文字の順番。二十六ある。Rがレンシスっていって王家。Qがクィルナ。王の親戚。そして、ずーっと下にいって、最後がS。シャーナだよ。動物や人間の死体を扱う仕事をしている。私がこれだね」
 身分制度。どれだけ貧しくても、どれだけ階級が下でも、皆が知っていることだ。こつん、とSの文字を叩くと、ミューシアが首を傾げた。
「リーファ、一番下なの? 強くて、お料理も狩りもできちゃうのに、何で?」
「何でだろうね。私も分からない」
 嫌われる職業に従事する者が嫌われる。それが、制度化したのが、身分制度。そこまで話すのが面倒だったため、リーファは話さなかった。それに、おそらく、ミューシアはそんな答えを望んではいなかっただろう。
「ふーん、人間って変なの」
「手前。こんなもの教えて何にもならねぇだろ」
 木の上で寝ていたはずのシュウの声が降って来る。そして、シュウは、リーファが口を開くより前に、首を傾げるミューシアに向かって、にやりと笑う。
「壊すからな」
「壊しちゃうの? 壊して良いの?」
 ミュウはリーファとシュウを交互に見る。
 (面倒臭いし)シュウに任せておけば良いだろうと、リーファは思ったが、甘かった。
「壊すしかねぇだろ。世の中の物全……」
「これは、壊すべきだと思ってる」
 シュウの危険思考は健在である。ミュウにそれが伝染したら、国どころか世界が滅びそうなので、リーファはシュウを睨みつけた。無駄な殺傷は御免だ。
「ミュウ、壊すの得意。壊すの手伝う」
 えへっ、とミュウは笑う。鮮やかなブルーの髪を撫ぜると、飛んで跳ねて喜ぶ。常にだるそうなシュウと大違いだ。
 異様なほどに澄み切った風が流れた。リーファは、目を細める。
「それは困りますね」
 硝子細工のような声が響いた。

 声の主は、小さな切り株に腰掛け、穏やかな微笑を浮かべ、リーファたちの方を見ていた。
 シュウよりも少し背は低いだろうが、僅かに幼い顔立ちをしていた。亜麻色の髪に、鳶色の瞳。透き通るような白い肌に、黒い大きな羽根が冴える。
 美しかった。顔立ちも、その羽根も、透き通るような肌も。普通の女の子だったら、うっとりと目を細め、頬を染めるであろう美貌。
 しかし、そこにいたのは、普通の女の子ではなかった。
「天使ーっ」
 ミューシアは、青い瞳を細めて威嚇しているし(天使は仲間の仇だから当たり前だ)、いつの間にか木から飛び降りていたシュウは、黙って抜刀している(とりあえず、破壊できるものは破壊したい性格)。
 リーファは、こんなに綺麗な人なのに、初っ端からこんな扱いは可哀想だ、と思ったが、ある意味、傍観者を維持する自身も、それに一役買っていることに、気付いていない。
 しかし、突然現れた美しい天使の方も、それを望んでいるわけではなさそうだった。
「君の所為で、天使の数は半分に減ってしまいましたよ」
「俺の前に、もの寄越すってことは、破壊してくれってことだろう」
 天使まで殺していたのか、とリーファは思った。そして、シュウの極めて危険な思想の混じった俺様思考に、リーファは一々突っ込まない。
 その天使も単なる大義名分、というような気持ちが全面的に見えていた。仲間の仇に言うこの台詞を、呆れましたね、とでもいうように、溜息混じりに笑うところからして、それについて怒っているようには思えない。
 つまり、どっちもどっちなのだ。
 戦いは今にも始まろうとしていた。しかし、リーファは少し離れた所にある大木の下に腰を下ろす。
 シュウだけでも手におえないのだ。ミューシアまで、戦う気満々で、さらに、向こうも好戦的な雰囲気である。双方生命力は強そうなので、どちらかが負けそうになったら助けてやろう、とリーファは思った。


 戦いが始まってどのぐらい経っただろうか。
 リーファは、自分がドラゴンと天使を舐めていたことを悟っていた。
 隣には、最初はやる気満々だったシュウが寝そべっている。今は、その面影すらない。
「よくやるよな」
 シュウは欠伸をしている。
「本当にね」
 リーファは溜息を吐いた。
 目の前で、巨大な木が倒れ、轟音が響く。そして、倒れた木が浮かび上がる、否、持ち上がる。
「野蛮人ですね」
 青年は冷やかな目を浮かべ、大伐採された木々の上を浮遊している。
「ミュウ、野蛮じゃないもん。あんた、羽黒いし、すごーく邪悪。悪人っ」
 そして、少女は、先ほど倒した大木を振り回していた。
 そう、先ほどから、ずっとこの調子なのだ。強いといっても、シュウは人間だ。早々と切り上げ、観戦に走った彼の判断は、正しかったと言えよう。
 目の前で起きている戦いは、人間のものではない。
「何だかんだで、楽しそうだよね。子ども同士だからかな」
 当然のことだが、当人たちは真剣に戦っている。しかし、仲間の仇討ちとか、そういうことは念頭に無く、所謂犬猿の仲のようだった。意地比べにしか見えないのだ。
「確かに、争いが同レベルだ」
 シュウは黒い瞳を細めた。シュウは危険思考の持ち主だが、子どもではない。一応、この面においては、人のことが言える。
 リーファとシュウは、暫く二人を見ていた。そして、不幸にも二人の魔法の被害に遭ってしまった動物を集めることにした。おそらく、旅の連れである小さなドラゴンは、普段の数倍は食べるだろう。食料は集めておくべきだ。
 二人は、イノシシやシカから、クマ(リーファとシュウは食べない)まで、集められるものをかき集めた。


 魔法で焦げたイノシシやクマの毛皮は売れない。リーファは、出際よく焦げた毛皮を剥ぎ、肉を捌き、血塗れになった手を水で流した。
「天使は、国の守護者。シュウ、一体何をやらかした?」
 木の枝に肉を刺しながら、木の上でだらけているシュウに、リーファはそう尋ねた。先ほどの話では、シュウが天使を殺したと言っていた。おそらく、喧嘩を売られたのはシュウだろう。
 天使は国の守護者。神を守る国を守り、国を守る王を守り、王を守る階級制度を守る。そんな存在だ。よって、階級に属していないシュウが襲われる理由は無い。シュウが、どんなに危険人物であっても、天使を半分犠牲にすることなど、ありえない。世の中に、階級制度を壊そうとしているような輩など、何人もいる。
「別に。普通に斬っていただけだ」
 それもかなり問題のある発言なのだが、リーファは流す。
 とりあえず、話す気はさらさら無いのだろう。リーファは話を変えた。
「でも、あの天使もおかしい。翼が黒いのと、あの性格は、個性としても、天術を全く使っていない。魔術だけだ」
「俺は、是非、前者も指摘して欲しかったけど」
 シュウは、リーファの微妙な気遣いを無視した。そう、この天使が、行動、見た目、全てにおいて、天使らしくないのは、言うまでも無い。
 しかし、本人が気にしていたら悪いじゃないか、と妙なところで平和主義であるリーファは、思ったのだ。
「とりあえず、雑魚天使じゃねぇってことだな」
「天使に雑魚っているの?」
 間髪入れずに、リーファは聞き返した。
「俺にとっては、雑魚も何も、向かってくる奴はとりあえず斬る」
「それは分かってる」
 シュウは、リーファの質問に答えていない。
 この男が、本当にレンシス語が分かっているのか、リーファは時々不安になる。
「天使には階級がある。人間以上にややこしい。下の奴は弱いし、上の奴は強い。強さで決まってる」
 へぇー、と聞き流すような振りをしながら、リーファはシュウに疑いを抱く。天使の階級のことなど、庶民の知るところではない。
 理解不能なのだ。言動だけではなく、その存在までもが。
 しかし、そこまで考えたところで、リーファは面倒になった。どうでも良い。
 十年の獄中生活で、我慢強さと共に身についてしまったこの面倒臭がりに、大して困ってもいないのに、困ったなぁ、と呟きながら、リーファは立ち上がった。すると、当然のことながら、未だに戦う二人の姿が見えた。
 しかし、何かがおかしい。リーファは二人の異変に気付き、目を細めた。
「何か、おかしくない?」
「確かに」
 天使の青年とドラゴンの少女の手首が、強力な何かでくっ付いてしまっているかのようだった。ギャーギャー騒いでいることは聞こえない。しかし、リーファは何となく、その状況が掴めた。
「そういえば、さっき、絆の樹を見たね」
 絆の樹。その樹液は、どれだけ仲が悪い者でも仲良くなれると言われるほど、長い間効く粘着力がある。
 洒落にならない、とリーファは思った。


 リーファは暫くの間、二人の様子を眺めていた。二人が、仲良くなる前に、森が壊滅してしまうなんてことが、十分にあり得る。リーファは、二人の争いを止めるべく、戦場へ入っていく。
 ビアンカはリーファの強さを知らないし、ミューシアは、自分よりもリーファの方が強い、と思い込んでいる。勝算はある。
 しかし、二人とも、一向に気づく気配がない。至近距離で、魔法でやり合っているからだろうか。
「いい加減にしなよ」
 リーファは、滅多に張り上げない声を大きく張り上げた。普段声が小さいのは、体力の浪費を防ぐためであって、決して大きな声が出せないわけではない。
「それの樹液を溶かす薬は、町に行かないとない。ミュウは、私の仲間だし、あなたも帰るべきところがあるでしょう。ここから、一番近い町まで、シュウに案内させますから、それまでじっとしておきなさい。あと、シュウは寝こみだろうと何だろうと、容赦なく襲うから、くれぐれ機嫌は損なわせないように」
 リーファは、使えるものはちゃっかり使う主義だ。シュウは、勝手に自分が利用されたのが気に触ったのか、目を細めていた。しかし、リーファは軽く無視だ。
 ミューシアと青年は、顔を見合わせ、はい、と頷いた。リーファは知らないが、獄中生活十年のリーファの目つきは、決して良い方ではない。
 お互いを睨みながらも、大人しく従った二人を連れて、リーファは、子どもは聞き分けが良くてよいな(勿論、比較対象はシュウ)、と思いながら、肉の用意をした場所へ歩いていった。


 天使の青年は、ビアンカと名乗った。熾天使という、最高クラスの天使らしい。そして、暫く話して分かったことは、このビアンカという青年、この中では一番普通のことを言うのである。
「ビアンカは、肉食べれる? 駄目だったら、果物とか木の実もあるけど」
 焼けた肉を分配しながら、リーファはビアンカに尋ねた。
「食べられます。態々ありがとうございます」
 そう言って、ビアンカは微笑む。普通の女性なら卒倒しそうなそんな笑みを見て、将来有望だな、と他人事のように思いながら、リーファは、イノシシの肉を渡す。
「天使も肉食べれるのかよ」
 さっさと食事を済ませたシュウの声が、樹上から降ってくる。
「食べない方もいますけどね」
 ビアンカは、肉に齧り付いている。
「お前、本当に天使らしくないよな」
「よく言われます」
 ビアンカは、何の悪びれもなく言う。ふわりと黒い羽根が揺れた。
 絶対に、部下を困らせるタイプだな、とリーファは直感的に思った。嫌味の通じない種類の者だ。むしろ、嫌味を数倍返ししそうである。
 隣にいるミューシアはビアンカを睨みつけているが、憎悪の対象としてではなさそうだった。ミューシアが、この天使らしからぬ雰囲気を、誰よりも感じていたのかもしれない、とリーファは思った。


 夜、シュウは、ふらりとどこかに行ってしまった。よくあることなので、リーファは、ミューシアを寝かせ、ミューシアの隣に座っている青年と話していた。
「あなたは、あの男と、行動を共にする気ですか?」
 青年は、微笑を浮かべることなく、かと言って、他に表情を浮かべることなく、つまり無表情で尋ねた。
「一応、利害は一致しているから」
 リーファは、さらりと言った。
 シュウは、おそらくリーファの魔術を必要とし、リーファは、シュウの無刻の腕を必要としている。
「気をつけて下さい。おそらく、あなたが思っているよりも、ずっと危険ですよ」
 鳶色が細められる。
「生きるか死ぬかの牢獄生活十年続けてきたんだから、あれぐらいは大丈夫」
 死刑を宣告されたリーファは、牢獄で死刑執行人たちを、魔術で悉く撃退していたのだ。それに、リーファは命にそれほど執着していなかった。
「あなたは、何のために動く?」
「神のためであり、この神聖レンシス王国のためです。私は、この国の守護天使ですから。あなたは?」
 中身は意外と天使だな、などと呑気に考えながら、リーファは答える。
「シャーナとして生まれて、青春を牢屋で過ごし、出てきたばかりで、特にすることもない。シュウは、魔術師が必要なのか知らないけど、賛同できる部分もあるし、利害も一致してるから」
「それが、神に逆らうことになっても、ですか」
 ビアンカは、間髪入れずに尋ねた。怜悧な雰囲気を漂わせる真剣な面持ちを、リーファは軽く笑う。
「私は神の存在を否定する気はないけど、崇め奉る理由もないから」
 リーファは、神サマというものに、何かやってもらった覚えがない。何かやってくれたという点だけで話をすれば、道案内をしてくれたシュウの方が、遥かに評価に値する。
 ビアンカは、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに亜麻色の細い糸のような髪を風に揺らし、呆れたような表情を浮かべた。
「それにしても、このドラゴンどうにかなりませんかね」
 私は微笑んだ。
 喧嘩するほど何とやら、である。


 それから、町で、無事に薬を手に入れ、晴れて、二人共、自由の身になった。しかし、町を歩く間、一行は、視線という名の牢獄に囚われていた。
 異国風の剣士と魔術師、さらに、精霊のような幼い少女、おまけに、黒い羽根を持つ美しい天使が、静かとは言えない様子で歩いているのだ。道行く人のの視線を集めないはずがない。
「また来ますよ。仕事でもありますし、決着をつけていないので」
 そう言い捨てて飛び立った美しい天使を、リーファは溜息交じりで見送った。
 手の掛かる子ども二人の面倒を一人で見た上に、珍獣のように見られながら歩いて、疲れたのだ。
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