最下層の魔術師
行方不明の御妃様


 木々の狭間から差し込む朝日を浴び、リーファは目を覚ました。すぐ隣には、ミューシアが寝ている。あまりにも気持ち良さそうに寝ているので、リーファは口元を緩めた。
 木の上には、寝ていたはずの人間がいない。シュウは、夜、ふらりとどこかに消える。そして、帰ってきた時は、ミューシアが言うには、僅かな血の臭いと、香水の匂いがしているらしい。
 ミューシアの前では、どこに行っているんだろうね、とリーファはとぼけて見せた。女遊びに行って、確信はないが、おそらく帰りにその女を殺して帰ってきているだろう、などということを、可愛らしい小さな女の子に、誰が言えるだろうか。
 リーファは、シュウとの相互不干渉を約束していたため、気付いても放っておいた。間違っても、気付かない振りをしているわけではない。朝になったら帰ってくるわけだし、ミューシアもそれ以上はリーファに尋ねなかった。
 しかし、その日の朝は違った。シュウが帰ってこない。
「シュウ、遅いね。ミュウ、心配」
 ミューシアは、幸せそうに肉に齧り付いた後、そう言った。説得力はないのだが、ミューシアの中で、シュウが食べ物以下だということだけである。
「そうだね」
 リーファは、町の方角を見た。静まり返った森に、人の気配はなかった。


 ミューシアが、久しぶりに散歩に行きたいといったので、リーファは、あまり遠くには行かないようにすることと、お昼までには必ず戻ってくることを約束させた。
 シュウもミューシアもいない。リーファは、一人で町に行くことにした。


 リーファは町を歩いていた。ミューシアに似合う髪飾りはないか、とか、自分用の新しい着物にしたいようなものはないか、美味しそうな食べ物はないか。そんなことを考えながら、品物を見て回るのは楽しかった。
 市場を一巡しただろうか。リーファは、ふわりと藍色の着物をはためかせ、疲れたな、と思いながら、少し暗い道に入る。どこか休める場所はないか、と周囲を見渡すと、薄暗い路地から、綺麗なドレスに身を包んだ女性が走ってくるのが見えた。
 顔には、恐怖が浮かんでおり、背後には、男が数人、女性を追いかけるようにして走っている。
 リーファは、困っている人を放ってはおけない人間だ。おそらく、身なりの良い女よりも、追いかける男の方が、リーファと階級も近いだろう。しかし、そんなことは関係ない。リーファは、路地に向かって走る。
 リーファの動きに、女は、ぱっと明るい表情を覗かせ、何かを喋ろうとしたが、リーファは女の横を素通りした。
「二ュクシア・ジャスティス(裁きの闇夜)」
 女と男の間に魔術を放つ。魔術特有の音と共に、路地に積んであった木の箱が壊れる。足止めにはなるはずだ。
「ありがとうございます」
「早くこちらに」
 可愛らしく笑い、御礼を言ってくれた女性の手首を掴み、リーファは走る。
「あっ……あの……」
 女性は戸惑っていた。リーファは、女性が自分を怖がっているのだと気付く。
「足止めしただけだから。もう少し頑張ってくれる?」
 リーファは、女性に笑いかけ、そのまま、カフェの建ち並ぶ静かながら、人通りのある通りに出た。


 美しい金髪、鮮やかな青の瞳、白く透き通る肌、品の良いワイン色のドレス。姿は大人っぽいのに関わらず、可愛らしい雰囲気のある女性。名前は、レナーサ・レンシス・クィル二アというらしい。つまり、階級制度的には、二位であるクィルナの出で、レンシス王家に輿入れした女性ということだ。
「最近、ヴァルシア王太子と結婚した人?」
 町で噂ぐらいは聞いている。自分が脱獄した頃に、結婚した人だ。レナーサは可愛らしい笑みを浮かべて頷き、事情を話し始めた。
「私は、王子様を探しているんです」
 レナーサはふわりと笑った。白い肌に赤味が差す。
「王子と結婚しているのに?」
 リーファは驚いて、そう尋ねた。彼女は、王太子と結婚しているのだ。一体、他にどんな王子様がいようか。
 すると、レナーサは、説明不足ですみません、と言った。
「ヴァルシア様は、側室の御子で、第二王子なのです。ヴァルシア様が生まれる前に、王妃様が、ウェルティア様という御方を生んでおりました。しかし、王様は、側室を愛しておいでだったので、ヴァルシア様が、王位をお継ぎことをお望みになりました。そこで、ウェルティア様が生まれたことをお隠しになり、ヴァルシア様が長子だと公表したのです」
「それで、ウェルティア王子っていう人は追放されたのかな?」
 レナーサは、おそらく、と頷いた。
「本来、私はウェルティア王子と結婚するはずだったのです。それで、視察から抜け出してきたのです。従者には申し訳ないとは思ったのですが、是非、一度お会いしたくて」
 そう思いませんか、とレナーサは、小首を傾げる。リーファは、そうは思わなかったが、とりあえず、そうだね、と相槌を打っておいた。
 無謀と世間知らずは置いておいても、君は、一国の王太子で満足できないのか、と心根の中で呟きながら。
 リーファがそんなことを考えていると、レナーサはリーファの名前を尋ねた。リーファは、名前だけを答える。
「リーファ。古代レンシス語で、世界。良い名前ですね」
 レナーサは微笑んだ。
 古代レンシス語。教育を受ける機会にも恵まれなかったリーファには、何の接点もなかったものだ。
 世界という意味を持っていることも、自分の名前をつけた両親も知らなかったであろう。おそらく、何も考えずに、過去の人から名前を取ったのだろう。大層な名前を持ってしまったな、とリーファは思った。既に人ではないところが、微妙だ。
「初めて知った。私、古代レンシス語、分からないんだ。レナーサの名前の意味は?」
「私ですか。花の姫です。恥ずかしいですよ」
 レナーサは、ふわりと笑い、顔を赤らめる。
 こういうのに、男は惚れるんだろうな、などとリーファは冷静に考えていた。彼女を妻にした王太子も、たとえ、結婚した後も夢見がちであったとしても、さぞかし幸せだろう。
 最も、リーファの知る二人の男性には、当てはまりそうもない、とリーファは思ったのだが。(リーファの推測では、シュウは艶やかな大人の女性が好きで、ビアンカは、子どもっぽい人が好みである)
「へぇー。じゃあ、シュウ、ミューシア、ビアンカって分かる?」
 他に話が繋がるものが思いつかないのと、興味本位で、リーファは尋ねた。
「シュウは自由。ミューシアは心。ビアンカは、煌く光です」
 とても、らしい、意味だ。
「ウェルティア様は、慈しみの光なんです」
 レナーサは、そう続けた。再び浮かべた笑顔からは、仄かな花の香りがした。


 ウェルティアという人物は、王家の者であるから、亜麻色の髪に鳶色の瞳である可能性が高いらしい。リーファは、そのような色をもつ人物を知っていたが、すぐに脳内で却下した。奴は天使だ。
 とりあえず、町を捜し歩きたいと言うので、髪まですっぽり覆ってしまうような民族衣装を買わせ、リーファはレナーサと共に市場を回った。
 勿論、楽しむことも忘れない。
 よくよく考えてみれば、初めての女友達である。
 色違いの髪飾りを買ったり、珍しい果物を買ったり、リーファは、初めての友人との買い物を楽しんだ。 二人で選んだのは、紅い髪留めと、青い髪留め。リーファが紅で、レナーサが青だ。二人で髪に付けて、笑いあった。
 そんなことをしていたのもあり、リーファは、当初の目的をすかりと忘れていた。だから、レナーサの、いらっしゃりませんね、と いう言葉の意味を、一瞬考える羽目になった。
 そして、街外れに差し掛かったとき、レナーサがゆらりと笑った。
「従者も心配しておりますし、私は戻ることにします」
 リーファが、送っていこうか、と言おうとしたその時、穏やかな男の声が流れてきた。
「その通りですよ。レナーサ様。貴女のために、一体何人の付き人の首が飛んだとお思いになっているのですか?」
「ローリア、すみません。私、どうしても……」
 リーファは、カフェテリアの前に立つ、眼鏡の優男を目を細めて見た。見たことがある人物である。黄金色の髪、鳶色の瞳、そして、裏の読めない微笑。自分の後ろにいるほかの従者に、レナーサを預け、しっかりと指示を出すその横顔。
 リーファが、その記憶に辿り着く前に、仕事を終えた男は、にやりと笑った。
「リーファ・シャーナ・シュライゼ。脱獄したとは聞いていましたが。まさか、このようなところで会うとは……」
「君は、あの時の役人か?」
 リーファは、ゆっくりと息を吐きにながらも、間髪入れずに尋ねた。
 男は、口元に笑みを残したまま、頷いた。
 丁度十年前、リーファはこの男に捕まった。罪名は覚えていないが、心当たりもなかった。ただ、今回のように、町でばったり出くわした直後に、捕まったのだ。
 その所為で、青春を暗い牢獄で過ごさなくてはならなかったのだから、リーファも一言二言どころか、三言四言は、言いたいことがある。
「貴女に出てきて頂いては困るのです」
 僅かな嘆息と共に、眼鏡の向こうの切れ目が細まる。
 知的な雰囲気を漂わせる男に、リーファはさらりと言った。
「私も、君に牢獄にぶち込まれたせいで、相当困っているんだが」
 無実の十年間は長い。
 しかし、リーファのさり気なく怒りの篭った声をも、男はさらりとかわした。
「貴女は、死刑でしたね」
 何か答えろよ、とリーファが思ったのは言うまでもない。この男は、会話ができない人間なのだろう。
 人に嫌われるタイプだな、とリーファは素直に思った。
 しかし、そんなことを考えていても、どうしようもない。こちらが合わせるしかないのだ。
「近付いて来る不審者は全て焼き払った」
 年頃の女死刑囚。死刑にされることは、まずない。厭らしいことを考えながら近付いて来る看守を焼き払い、夜は自分の牢を闇魔法で覆った。勿論、死なない程度にではあるが。
 男は鼻で笑った。そして、リーファに尋ねる。
「リーファ・シャーナ・シュライゼ。エレカという名に、覚えはないでしょうか」
 リーファは目を細めた。
「聞いたことはある」
 誰かは分からないが、それは、リーファにとって、初めて聞く単語ではなかった。
「そうですか……一生牢獄に繋がれるのと、ここで死ぬのと、どちらを選びますか」
 男が剣を抜いた。リーファは、魔術を放つ準備をする。話の筋は見えないし、そんなことをされるようなことをした覚えもない。こいつの私怨だけで、牢屋に入るのも、死ぬのも御免である。
「エウリーナ・アルテミー(光明の輝き)」
 光が爆発する。しかし、刃はリーファに迫っていた。斬られる、そう思った刹那のことだった。
 リーファの前に、紅い何かが跳び入るようにして入ってくる。そして、直後、鋭い金属音が響き渡った。


 紅い着物に黒い髪。不快そうに細められた黒目。悪のヒーロー見参。
 リーファは、心の中で呟いた。助けて貰っておいて、態度が大きいのは、それ相応のことをやっている自信があるからである。
 しかし、ここまで良いタイミングだと、出てくるタイミングを窺っていたのかと疑いたくもなるが、結構な魔術を放ったので(勿論、被害は出ていない)、それを聞きつけて走って来たのだろう。リーファはそう思った。
「こいつは、俺の魔術師だ。勝手に殺されても困る」
 シュウの刀がギラリと光る。
 私は奴の魔術師なのか、とリーファは思ったが、確かにそれ以外に、関係を言い表す言葉は見つからない。
「知り合いでしたか。これは困りましたね。全ては貴方たちを会わせないようにするためだったのに……」
 意味不明だ。リーファはシュウを見た。顔を顰めるシュウも、さっぱり理解していないようだった。
「そして、あなたは、またセフィリス・サラヴァンに惹かれるのですね」
 リーファは目を細めた。
 セフィリス・サラヴァン。この世界で、彼の名を知らぬ者はいない。神聖レンシス王国が立つ前に、世界を統べた覇王の名だ。数ヶ国語を操り、文化と知識を深く愛した一流の政治家であり、策士であり、剣士だった。
 わけの分からない男だ、とリーファは思ったが、それだけではなかった。
「私はあの御方を、誰よりも愛していたのに」
 リーファは、男の頭を疑った。あの御方とは、セフィリス・サラヴァンのことだろうか。兄弟愛でも何でも、是非ともそうでないことを祈るのだが、会話の流れでは、セフィリス・サラヴァンだ。しかし、セフィリス・サラヴァンは数百年も前の王だ。
 リーファは怪訝そうに男を見た。
「知るか。俺はシュウだ。誰かに惹かれた覚えもねぇ。手前の恋慕なんて、更にどうでも良い」
 リーファはシュウを見た。いつものように、気だるげな表情だ。ふわりと風が流れる。
「俺に着いて来れる魔術師なんて、滅多にいねーからな。ただ、それだけだ」
 シュウは、それを言ったのと同時に、男に斬りかかった。本来、鎧が必要な男の剣と、シュウの刀では勝負は目に見えている。大体、シュウの強さは異常なのだ。
 逃げていく男を、シュウは深追いはしなかった。ただ、男の後姿を、怪訝そうに見ているだけだった。
 殺さないなんて珍しいな、とリーファは思った。


 森への道を、二人はゆったりと歩いていた。
 リーファは、何故遅かったのかを尋ねると、シュウは、さらりと言った。
「ある女を捜していた」
 それを聞いて、リーファは、これ以上奥まで突っ込まないことにした。やはり女絡みである。
 話題を変えよう、とリーファは思い、真っ先に思いついた話を振る。
「そういえば、セフィリス・サラヴァンって、容姿端麗、文武両道の覇王だよね」
「それをどこで知った?」
 シュウは、間髪入れずに尋ねた。声は淡々としていたが、リーファに向けられる眼光は、鋭かった。
「さぁ。随分昔のことだと思う。セフィリスの名前ぐらい、知っていて当然だと思うが」
 セフィリス・サラヴァンの創った国。その国は、彼の死後、分裂した。そして、分裂してできた国の一つが、神聖レンシス王国となったのだ。教養のないリーファでも、このぐらいのことは知っている。つまり、この国の一般常識なのだ。
 しかし、シュウの眼光は、緩まるどころか、鋭くなった。
「この国では、セフィリス・サラヴァンは、醜い愚王だった、という考え方が一般的だ」
 リーファも、目を細めた。リーファは、そんなことを聞いたことがないような気がした。
 シュウは、いつになく真剣だった。派手な装いの上から覗く漆黒。相手が普通の女の子であれば、あまりの恐ろしさに失神してしまうであろう威圧感。
「手前、それをどこで知った?」
 リーファは考えた。知っていたら、教えるだろう。しかし、分からないのだ。まるで、水が水であるかのように、空が空であるかのように、リーファにとって、セフィリス・サラヴァンは鬼才の覇王なのだ。
「分からない」
 リーファはきっぱりと言った。考えても、分からないものは分からないのだ。
 そして、シュウが口を開く前に付け足した。
「あと、顔が怖い」
 張り詰めた空気が緩んだ。シュウが呆れたように溜息を吐く。
「怖そうには見えねーよ」
 じゃあ、悲鳴上げて卒倒しろと言うのか、とリーファは思ったが、口には出さなかった。
「じゃあ、私からも質問」
 シュウが片眉を僅かに上げた。
「何故、恋慕だと分かった?」
 そう、あの男は、あの御方を愛していた、とは言ったが、それが恋慕である保障はない。話の流れでは、おそらくセフィリス・サラヴァンだ。兄弟愛とか、師匠と弟子の間の愛とか、そういう方向に行くのは分かる。しかし、この男は、恋慕と言い切ったのだ。
「……分からねぇ」
 僅かに間を置いて放たれた言葉に、嘘だ、とリーファは確信したが、これ以上追及する気にもなれなかった。
「そういえば、髪」
 あっ、と気がつき、本日のお買い物を思い出し、思わず、リーファは口元を緩める。
「俺に言われて思い出したって顔だな」
 溜息を吐きつつ、口元に僅かな笑みを浮かべ、腹減った、と呟く黒髪の剣士に、助けてくれたことを含めて感謝の言葉を言えば、はいはい、と適当な返事が返ってくる。
 剣士と剣士の魔術師の歩く道は、まだまだ長い。
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