最下層の魔術師
群青の花嫁


 森を彷徨い歩いていたリーファたちが辿り着いたのは、町ではなく、辺境の小さな村だった。
 リーファは安心した。包丁の予備が少なくなってきたのだ。魚や猪や鹿だけではなく、熊などの動物も捌いているので、包丁の寿命は短い。
 リーファとシュウは、魚や猪しか食べないが、ミューシアは肉ならば何でも良いらしい。熊でも狼でも構わず美味しそうに食べてしまう。さらに、一食の量は、尋常ではない。
 しかし、それだけではない。最近、偵察をしにきたビアンカ青年もちゃっかりと一行に入っている。そして、彼もよく食べるのだ。彼も食べ物には拘らないのはありがたいのだが、天使がむしゃむしゃと熊の肉を食っているのを見ると、リーファは、何とも言えない心地に襲われるのだった。
「何で、帰らないのっ」
 ミューシアは、青い髪を揺らし、小さな体で叫ぶ。
「暫く帰ってくるなと言われているんですよ、野蛮娘」
 端麗な顔に僅かな不快の色を浮かべ、さらりと言い返すのは、天使ビアンカ。
「邪悪天使。悪の権現」
 ミューシアは、とうとう地団太を踏み始めた。
 リーファは、暫く帰って来るな、ということについて、是非とも詳細を尋ねたかったが、二人はどうでも良いようだった。
「野蛮な大食い」
 ビアンカは、声を荒らげることはしない。白い肌に浮かぶ表情は薄いし、硝子細工のような声に乗る感情も淡い。しかし、そのようなことはリーファにとってはどうでも良い。
 野蛮は兎も角、大食いはビアンカも一緒だ、とリーファは思うのだが、口に出してもどうしようもない。
「二人共、語彙が増えている気がする」
 リーファは、相変わらずの鋭い切れ目で、だらしなく天を仰ぐ男に言う。
 特に、ミューシアの成長は顕著だ。小さな子どもはよく成長するな、と感心するべきか、覚えた言葉が暴言ばかりであることかを指摘するべきか迷うちところではあるが。
「使う単語だから覚えるんじゃねーか」
 実際どうでも良いのだろうが、シュウはどうでも良い相槌を打ってきた。
 村の前での一騒ぎも、こうして長閑に過ぎていく。


 包丁を手に入れようと、一行は村の中に入った。唯でさえ目立つのだが、こんな辺境の村では、目立つという次元を遥かに超越していた。しかし、包丁は手に入れなければいけない。
 賑やかな音楽が聞こえる村を、一行はのんびりと歩いていた。そんな時だった。
「あれ何?」
 ミューシアが人の集まりを指差した。リーファが、ミューシアの指の先に目を向けると、そこには、純白のドレスに身を包んだ女性と、正装をした男性、そして、それを取り囲む人々がいた。
「結婚式だと思う」
 二人の表情は遠くて窺えないものの、皆、酒を飲みながら、騒いでいるところからして、楽しい結婚式ではあるのだろう。  リーファの言葉に、ミューシアは無邪気な笑顔を浮かべた。
「へぇー、ミュウもいつか結婚したい」
 やっぱり女の子とは違うな、とリーファは思い、青い髪を撫でてやった。しかし、それだけで事は終わらない。
「無理でしょうね。世界がひっくり返っても」
 ビアンカが、淡々とした声で、さらりと言った。素直じゃないな、とリーファは思ったが、何も言わなかった。
「そんなことないもん。極悪天使は、絶対にできないと思うけどっ」
「ミュウ、ビアンカ、村の中だから静かにね」
 こんな村の中で、しかも結婚式がすぐ近くで執り行われているのに関わらず、魔術合戦などされたもんなら堪らない。リーファは、二人をさり気なく引き離した。
 そして、ふと隣を見ると、シュウが結婚式を見ていた。しかし、その表情は、いつもより険しい。
「シュウ、どうした?」
「騒いでる奴は、壊したくならねぇか」
 シュウは、そう言って、取り繕ったかのような人の悪い笑みを浮かべた。リーファは目を細めたが、それ以上は何も訊かなかった。


 包丁も入手したので、村のすぐ近くの茂みで一夜を明かすことになった。宿取らないのは、宿で平穏に過ごせる面々ではないからである。
 村唯一の宿を全壊など、笑い事ではない。
 リーファは、ミューシアを寝かすと、再び村に入った。ふらりとシュウが出て行ったのが、気がかりだったからだ。町なら兎も角、こんな小さな村で、女遊びをしてくるとは思えない。
 では、一体、彼は何をしているのか。
 剣士の後をつけるのは無謀だ。さらに、相手はシュウだ。斬られても文句は言えない。
 リーファは、シュウが見えなくなってから村に入ることにした。
 立ち上がり、村へ行こうとした矢先、風と共に涼やかな声が流れてきた。
「どこへ行かれるんですか?」
 ビアンカである。ミューシアから離れたところで寝ているが、流石にリーファの動きには気付いたようだった。
「村。シュウが怪しいから」
 短く言うと、息を吐く音と共に、そうですか、というあっさりとした相槌が聞こえた。
「よく、ここまで持ちましたね」
 リーファはくすりと笑う。
 今まで、シュウに殺されてきた魔術師よりも、リーファが優れていることは多くある。しかし、生き残るのに重要だったことは一つだ。
「流されることも、逆らうことも、どちらも大切なんだ」
 リーファは、亜麻色の髪の美しい天使の方を見た。
「シュウという人間の前では、それを上手く使い分けることが重要なんだよね」
 ビアンカの上品な笑い声が、森のざわめきに混じって聞こえた。


 村は、かなり騒がしく、行き交う声を聞く限りでは、誰かを探しているかのようだった。
「手前は逃げろ」
 村に入ってすぐ、シュウの押し殺したような声が聞こえた。
「死にてーのか?」
 どうやら、隣にある空家の中にいるようだった。リーファがいるのは、裏口の前だ。
「親のところへ逃げろ。道は分かるな?」
「隣町なんですが、暗いので……」
 女性の声がした。おそらく、若い女性だろう。しかし、会話の内容から、如何わしいことはしていないようである。しかし、かなり緊迫した状況のようだ。
「シュウ、私なんだけど」
 リーファは、木の壁に思いっきり顔を近づけて言った。
「リーファ、手前、入って来い」
 僅かな驚きの含まれた声と共に、リーファのすぐ隣の扉がゆっくりと開いた。
 中にいたのは、シュウと、昼間結婚式を挙げていた女性。昼間の純白の衣装とは違い、ボロ同然の服を着ている。しかし、かなりの美人だ。
 この微妙な取り合わせで、どうしようかとリーファが思った丁度その時、表の方から慌ただしい音が響いた。
「手前がくだぐたしているからだ」
 シュウは、女性に八つ当たりをした。理由は、彼の大人気なさで片付くところが、また哀しい。
 女性は、すみません、と謝った。リーファは、何も言わなかった。否、言う余裕がなかった。
「リーファ、手前は……」
 リーファは表の扉の前に立っていた。シュウの声に、振り返って言う。
「足止めぐらいならやるよ。あんたは、裏口からそのお嬢さんを連れて逃げて。途中でミュウとビアンカを叩き起こしておいて」
「面倒臭え。それで、手前は、大丈夫なのか?」
 心配するなんて珍しい、とリーファは思ったが、口には出さない。
「私は、世界一の魔術師だと思う」
 さらりと真顔でリーファは言った。
「何だよ。その不確かな宣言」
 律儀に返答するところは真面目だな、とリーファは思った。しかし、今はそれどころではない。
「色々言ってないで、さっさと行け」
 リーファは、それだけ言うと、裏口へ二人を無理矢理押し出した。そして、自分は、豪快に表の扉を開ける。
 扉を開ければ、そこにはずらりと並ぶ男たち。皆、鋤やら鎌やらを持っている。
「女を出せ。そこにいるのは分かっている」
 灯りがゆらゆらと揺れている。リーファは、ゆっくりと息を吐いてから言った。
「私では駄目だよね」
 リーファの口から漏れた言葉と共に、空気が一気に収束した。


 夜は深い。シュウは、ビアンカに、ミューシアを叩き起こさせた後、自分はランプを片手に持って、女の手を掴み、森の中を走っていた。
 女は黙っていた。喋る余裕も無いのだろうか。シュウは、女を気遣って速さを気にする余裕など無かった。夜の森は迷いやすい。しかし、三十分程走ったところで、休むのに丁度良い水場を見つけたため、シュウは休憩をとることにした。
 男の身である自分や、牢獄暮らしだったリーファならば、一時間ぐらい平気で走ってられるが、今、シュウの目の前にいるのは、極々普通のお嬢さんである。
 女は、水を飲み、荒い呼吸のまま、ぐったりとしていた。シュウは耳を澄ませた。耳に入るのは、森の音だけだ。
 シュウがゆっくりと息を吐いた時、女が突然口を開いた。
「あの人は、リーファという名前なのですか?」
 控えめな声と、予想外の言葉に驚きつつも、シュウは、ああ、とだけ返事をした。
「リーファ・シャーナ・シュライゼという名前ではないでしょうか」
「知り合いか?」
 シュウが尋ねると、女性はにっこりと笑った。
「親友だと思っています」
 それならば、自分が足止め役を買えば良かった、とシュウは一瞬だけ思ったが、リーファに隣町までの道が分かるとは思えない。
「リーファと旅をなさっているのですか?」
「魔術師としては有能だからな」
 気だる気にそう言うと、女性は明るい笑顔を浮かべた。
「見た目によらず、結構気難しいので、頑張って下さいね」
 何を頑張るのか。
 シュウはそう思ったが、欠伸をして聞き流すことにした。


 夜明け頃になって、リーファはシュウと合流した。森の中で、無事にミューシアとビアンカに合流できたため、そのまま空を飛べる二人に連れられて、隣町へ移動したのだ。
 森の中で、二人を寝かした後、リーファとシュウは、町の片隅のカフェでお茶を飲んでいた。まだまだ空は薄明かりに包まれている。
「リーファ、花嫁の持参金は知っているよな」
 女性のことを尋ねると、シュウはそう言った。
「悪いね」
 リーファは、ゆっくりと息を吐いた。
 十三歳で牢に入ったのだ。教養は勿論のこと、世間の一般常識さえも、まだまだ不十分なのだ。
 シュウは、そんなリーファに、目を細めていたが、何も言わずに説明した。
「この国では、娘を高い身分の家に嫁がせるのが、父親の役目だといわれている。男の家は、持参金だけでも、相当な物だが、大抵、無事に持参金を用意しても、嫁の家に次から次へと金を要求するのが一般的だ」
 シュウは淡々と説明をした。
「そして、もしできなかったら、その嫁は、殺されてしまうというわけだ」
 リーファは、ありがとう、と礼を言った。あの女性は、殺されそうになっていたのだろう。それを、シュウが目ざとく見つけた。
「まぁ、手前は持参金云々以前に、性格に問題があるから、安心しろ」
 リーファの表情に、シュウはにやりと人の悪い笑みを浮かべたが、リーファは全く別のことを考えていた。それは、迷宮にあるこの男の考えと目的。シュウという人間の行動基準だった。


「それで、世界一の魔術師とはどういうことだ?」
 シュウは唐突にそう尋ねた。リーファは、ああ、どうでも良さげに返事をする。実際どうでも良いのだ。
「優秀な魔術師が揃っていると言われる神聖レンシス王国のどの魔術師も、私の魔術には勝てなかった」
 強力な魔術を使うリーファ・シャーナ・シュライゼに挑んできた魔術師は多い。牢の中での勝負で、リーファは負けたことが無い。
「多分、魔術に関してだけ言えば、ビアンカやミュウよりは強いと思う」
 窓の外に目を向けていたシュウの横顔が、僅かに強張る。
「だけど、世界一の魔術師が、必ずしも最強の魔術師ではないところが困ったところなんだ」
 リーファは溜息を吐いた。魔術師は、言葉を媒介にしなければ、足手纏いにしかならないのだ。それだけではない。
「無茶や無理をする人間が、弱いと言われ、安全圏でしか動かない人間が強いと言われる。不条理だと思う」
 シュウの黒眼が細められた。
「手前は、どちらを評価する?」
 シュウは、コーヒーカップをテーブルにおき、窓の方に向けられていた顔をやや傾ける。口元には、薄らとした笑みが浮かんでいる。
「前者」
 リーファは即答した。シュウの細い目が、一瞬だけ、僅かに大きくなった。
「リーファ、一つ教えてやる」
 シュウは、いつもと変わらない人の悪そうな笑みを浮かべた。
「あの意味分かんねぇ奴は、男でも女でもねぇ。奴は人間じゃねーよ」
 長い足をだらりと流し、欠伸混じりにシュウは言う。
 レナーサの従者ローリア。頭の中の構造を、是非とも聞きたくなるような奴だった。二度と会いたくない者としては、リーファの中で、堂々たる一位を占めている。一言二言言いたくても、会話が成り立たないのではしょうがない。
 ローリア、そしてシュウ、と分からないことは多過ぎる。しかし、リーファはどうでも良かった。
「つまり、あれに二度と会わなければ良いってことか」
 そういう結論に落ち着くのである。
 リーファに向けられたシュウの顔には、明らかに呆れが浮かんでいたが、リーファはそれ以上の考えには至らなかった。
 困った奴には、あれこれ言ってもしょうがない。会わないのが一番である。
 リーファは、温くなってきたお茶を飲んだ。
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