最下層の魔術師
白亜の宮殿


 通されたのは、王宮の中でも、立派な一部屋。漸く自分の存在に気付いたらしく、恭しく頭を下げてくる高官たちを鼻で嗤う。
 公にはされていないが、シュウの存在を知らぬ者は、この城にはいないのだ。
 クッションつきの椅子など、十年以上座っていない、と思っていると、ゆっくりと扉が開いた。
「久しぶりだな、ヴァルシア」
 当然の如く、王太子であるヴァルシアの前には、数人の騎士が控えていた。シュウが、刀を預けるのを渋ったのだから、当然のことではあるが。
「兄上、再びお会いできて光栄です」
 透き通った亜麻色の髪に鳶色の大きな双眸。表情には明らかな緊張が走っているが、それでも、見栄えのする顔立ち。
「女連れとは良い度胸だな」
 シュウは、弟の隣にいる麗女を一瞥して言った。レナーサ・レンシス・クィル二ア。つい最近輿入れしたクィルナの姫。
 リーファを連れてきたのは、棚に上げておく。第一、あれは女ではなく魔術師だ。
「あなたが、ウェルティア様ですか?」
 鮮やかな青の双眸。大きなその瞳は、連れてきた女魔術師のくすんだ茶色のそれとは大違いだ。どこまでも綺麗な青は、何故か煌いている。
「そうだよ、お嬢さん」
 シュウが薄らと笑みを浮かべて、優しく言ってやると、王太子妃の美しさのある白さを持つ肌が、暖かな色を帯びる。一々比較に出すのは失礼だが、連れてきた女魔術師の傷だらけの濁ったような肌とは大違いである。
「それで、如何なさったのですか」
 レナーサを見ていたヴァルシアが、不快そうに目を細めてから、そう尋ねた。
「王に会わせろ」
「王はそれを望んでいません」
 知るか、とシュウは思った。もう、我慢の限界だった。目の前の男を、最も効果的に傷つける方法。それは、ただ一つ。
 シュウは素早く抜刀した。襲い掛かって来る騎士たちを、刀をぶつけつつ、一蹴する。そして、標的、レナーサに向かって一閃しようと、刀を引く。ヴァルシアの蒼白な顔色と、恐怖に表情を無くしたレナーサを嗤いながら。
 その瞬間だった。怒鳴り声に近い、美しいとは言い難い声が響いたのだ。
「二ュクシア・ジャスティス(裁きの闇夜)」
 闇魔術と聞き慣れた声。殺傷力が無いように調節されているものの、音無き爆発にシュウは数歩下がらずにはいられなかった。騎士は魔術の所為でのびているし、王太子夫妻は腰を抜かしている。
 舌打ちをしつつ、真っ直ぐ顔を向けると、廊下の向こうから、一人の女が歩いてくる。くすんだ茶髪、異国の民のよう服装、特筆点の無い体と顔。
「ウェルティア・レンシス」
 女魔術師は、知らぬはずの名を呼ぶ。平民、ましては、牢獄で十年間を過ごした人間が知っているはずの無い名前。
「どこで知った?」
 シュウは、睨まずにはいられなかった。


 真っ直ぐと前に進み、門の近くにいた騎士に、先程剣士の連れだと言うと、あっさりと中に入れてくれた。そのまま騎士に案内をさせる。びくびくされると、不憫に思えないことも無かったが、身分で人を判断する者は嫌いということもあり、リーファは黙って案内させた。
 そうすれば、友人に斬りかかる連れを発見。即魔術を放ったわけだ。
「レナーサ・レンシス・クィルニアに町で会った。それで、友達になった」
 気絶してしまっている騎士や、王太子夫妻を無視して、刀を抜いたままの剣士に歩み寄る。
「手前は……まるで、どこかの町娘に会ったみたいな勢いだ」
 シュウは、怒っている、というよりは、呆れている、という表情だった。
「まぁ、そんな感じで、話だけ聞いた」
 騎士たちを一瞥してから、リーファは笑った。
「勘だったんだけどね。ただ、慈しみの光なんて、本当に似合わないね」
 一番似合わない名前だ。国王夫妻が何を思ったこの名前を付けたかは知らないが、こんな人間になってしまったとは、それは、祈りよりも儚い願いだったのだろう。
「リーファ、手前、黙れ」
「じゃあ、似合ってると思ってるの?」
 そんなはずは無いだろう、と声を荒らげるシュウを適当にあしらい、リーファはくるりと後ろを向き、レナーサに寄り添うように立っている男に、頭を下げる。
「殿下、御見苦しいところを御見せして申し訳ございません」
 ヴァルシア・レンシス。この国の王太子。もう少しまともな謝罪の仕方もあるだろうが、王太子に対する振舞い方や、シュウの王宮での立ち位置も分からないリーファには、これが精一杯のことだった。まず第一に、自分が悪いことをしたのは分かっているが、自分のやった悪いことに自信が無い。
 当然のことながら、心の片隅には、面倒臭そうに座り込んでいるシュウに対して、何で私がこんなことやっているんだよ、と言いたい気持ちはある。しかし、自分にも十分非がある。
 丁寧に頭を下げた後、顔を上げると、王太子が不快そうに目を細めていた。
 そして、真っ先に動いたのは、レナーサだった。
「ヴァルシア様、彼女は、町で私を助けてくれた私の大切な友人。今回の件でも、私の身を守ってくれた命の恩人です。どうか、お許しを……」
 必死な表情で、レナーサは、夫に許しを乞う。やっぱり、かなり悪いことしてたんだ、とリーファは思った。兎に角、レナーサに申し訳ない。
「レナーサ、良いよ」
 もうどうにでもなれ、という感じだ。とりあえず、レナーサに謝ってもらうのは申し訳ない。
「良くありません。王宮は……」
「王宮は?」
 リーファは聞き返した。王宮は何なのだ。しかし、レナーサが、その問に答えることは無かった。
「レナーサ、彼女と兄上には、丁重な持成しをすることを約束するよ。兄上の連れのようですから、無礼を為すわけにはいきません」
 ヴァルシア王子はそう言って、レナーサに微笑みかけた。


 用意された部屋は、向こうが何を思ったのかシュウと同じだった。いつも雑魚寝ではあるが、嫌な気分はする。何故だろうか。とりあえず、リーファは自分に否がないことは分かっている。
 しかし、そんなシュウとは特に何も話さぬまま、レナーサに呼ばれ、彼女の部屋に行くことになった。シュウは部屋のベッドで横になっていた。暫くは大人しくしていてくれるらしい。
「リーファ」
 部屋から出ようとした時、名前を呼ばれる。
「まだお前の仕事は終わっちゃいねーからな」
 振り返れば、いつもの人の悪い笑み。
「分かってるよ」
 リーファは、自分が何をするのかは全く分からなかった。リーファの役割は、身分制度をぶち壊すのを手伝うということであって、彼の暴走、つまり大量殺戮などに荷担することではない。
「これからだろう」
 協力するのも止めるのも、これからが勝負だ。
 リーファがさらりと言うと、シュウはさらに笑みを深めた。そして、そのまま部屋を後にする。
 案内役の騎士二人に連れていかれた部屋は、温かみのある白に覆われた品の良い一室だった。その部屋には、大きな椅子があり、レナーサは、そこに腰掛けていた。
「下がって下さい」
 リーファを連れてきた騎士に、レナーサは優しく微笑む。渋りつつも立ち去る騎士の背中が遠ざかるのを確認してから、レナーサは扉を閉めた。


「先日と……今日もありがとうございました」
「気にしないで。私も、今日は迷惑を掛けてごめん」
 リーファが謝ると、レナーサは安心したかのようにくすりと笑った。そして、その笑みをゆっくりと引き下げてから、再び口を開く。
「ところで、リーファは、何故王子と一緒に?」
「旅に道連れされた。奴の目的に賛同できないわけではないから、力を貸している。王子ってことも知らなかったんだけどね」
 リーファは、さらりと言った。すると、安心したようにレナーサが微笑む。
 リーファは、そんなレナーサを見た。
 殺されかけたのに、何故、想えるのだろう。リーファは不思議で仕方が無かった。
 美しく優しい王太子妃。自分を守ってくれた大切な友達。リーファに身分を尋ねなかった、数少ない人。リーファは。レナーサの力になりたいと思うし、レナーサが不幸になるところは見たくない。
 リーファは、気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いた。そして、重い口を開く。
「シュウはやめておいた方が良いよ。碌な奴じゃない」
 えっ、と小さな声が紡がれる。宝玉のような青い双眸が丸くなり、リーファに次の言葉を求めている。
「シュウは女を幸せにはできない。唯一人の女を、満足に愛すことすらできないだろうね」
 レナーサの目は僅かに伏せられていた。リーファは息を呑む。
 僅かに、時間が止まったような空白ができた。しかし、それはすぐに終わってしまう。
「やってみないと分かりません」
 鮮やかで遠浅の海のような青は、いつになく深い。声は凛としていて、張りがある。それは、美しかった。
 しかし、リーファは譲れなかった。
「シュウは、ただの色好みの男とは違うんだよね。あいつは女遊びはしても、女に惚れることは無い。多分、女遊びをする自分に固執しているだろうね。理由は分からないけど」
 色好みと雖も、決して飲まれないタイプだ。何に飲まれているか。それは、外からか決して見えない。
「レナーサ、君は、誰よりも幸せになることが仕事だろう。王妃様が幸せそうな顔をしているのが、一番なんだよ」
 心の底から幸せそうに笑い、民を愛する王妃。理想の姿を押し付けるのは良くないが、レナーサは、それを為さなくてはならない。彼女がクィルナに生まれ、レンシスに名を連ねてしまった以上は。
「身分どうこう以前に、レナーサは、国の人々を励ます力を持っていると思う。私の魔術と同じで、レナーサはレンシスという力を持っている。それは、クィルナとか、そういう身分の力じゃない」
 レンシスは最早身分ではない。一つの大きな力だ。
「それに、ヴァルシア王太子は、あなたにしか幸せにできない」
 リーファのその言葉で、下を向いていたレナーサは、漸く顔を上げた。


「ウェルティア様は……」
 レナーサの口から漏れた言葉に、リーファは静かに息を吐いてから言った。
「暫くは、協力者として、私が責任持って面倒見るよ」
 とりあえず、リーファはシュウの暴走を止めなくてはいけない。シュウに善悪の判断を任せてはいけない。リーファとシュウは、支え合う、などという大した関係ではないが、分担ではなく、協力をしている。
 リーファの言葉に、そうですか、とレナーサは微かに笑った。
「それより、ヴァルシア王太子は、あんな兄持っているんだから、これから苦労するよ。レナーサが支えてあげないと」
 リーファはそう言って、笑いかけた。
 シュウが何を考えているかは分からないが、王家に恨みを持っているのは事実。追放された恨み、母を蔑ろにされた恨みなど、想像はいくらでもできるが、結局のところ分からない。
 どちらにしろ、今のままでは、ヴァルシア王太子は危険だ。それは、物理的にも、そして、精神的にも。
「ヴァルシア様は、御強い方です」
 レナーサの声は静かだった。
 リーファは、レナーサの青の双眸から目を外すと、天を仰ぎ見た。高い天井には、見事な装飾。それ故の圧迫感。
「レナーサ、王宮は、に続く言葉、思い出してよ。私は学が無いから分からない。でもさ……」
 リーファは、この王宮の空気を吸った。そして、眠る何かを呼び覚まされたような感覚と共に、感じるのだ。
 魔窟の如き雰囲気を。


 青い双眸は、静かに伏せられた。しかし、それは再びゆっくりと上げられる。
「昔から、私はクィルナのお姫様として、のうのうと過ごす気はありませんでした」
 静かな一言に、全てが篭められていた。リーファは、その一言で、漸く、レナーサを理解した。
 聡明な人だ、とリーファは思った。自分の気持ちを、客観的に認識できる人は、あまりにも少ない。しかし、レナーサはそれができているのだ。
「あんたの気持ちは分かったよ。だから、ウェルティア王子に憧れていた」
 レナーサは、ずっと反発していたのだ。しかし、それを悟らせなかった。夢見がちなお嬢様を装っていた。おそらく、意図的ではないのだろう。しかし、それはあまりにも上手くできすぎていた。
 リーファだって騙されていた。しかし、今は分かる。
「でも、今のウェルティア王子、つまり、シュウという人間に憧れているわけではないよね」
 言われなくても分かっている、という声にならない言葉が聞こえてくるようだった。
 レナーサだって気付いていたのだ。自分が、ウェルティア王子に憧れているわけではなくて、ウェルティア王子に憧れている自分に固執していたことに。
「私は、未婚だからよく分からないけど、ヴィラルでもユーラでも同じだと思う。王族なんて特にそうだよ。こんな王宮で、一人で立つのは難しい」
 リーファは知らないようで知っている。この王宮の雰囲気。張り詰めた空気。入ったばかりの時は気付かなかった。しかし、刻々と感じ取れる物が増えてきた。
「綺麗で優しくてレナーサのことを大切に思ってくれているのなら、素晴らしい人だと思うよ。レナーサ、支えてあげなよ」
 レナーサは控えめに笑った。リーファは、ほっと胸を撫で下ろす。
 レナーサは聡明な王妃だ。リーファは、レナーサの生まれ持った魅力だけではなく、彼女が作り上げた魅力も知っている。しかし、リーファは、大切なことに気付いていなかった。


「ところで、何故、リーファは王宮に」
 レナーサの問いに、リーファはゆっくりと息を吐いてから答えた。
「そうだね……神に文句を言ってやりに来たんだ」
 神は存在する。この身分制度と王国を築き上げた神。
 リーファは、袖に手をかけた。
「シャーナ……」
 露になった腕に刻まれるは、Sの模様。
「不可触民シャーナ」
 不浄のため、触られることも忌まれる民、シャーナ。
 レナーサの声は、驚きを僅かに含みながらも、なお静けさを持っていた。
「リーファ、あなたが何を考えてるのかは、私には想像もできません。ですが、私は、安心しました」
 レナーサは静かに微笑んだ。
「私は、憎悪か敬意の目でしか、見られたことがありませんでしたので、怖かったのです。あなたが、私に身分を明かした後、ころりと態度を変えてしまったら……そう思うと、恐ろしくて……」
 ですが、安心しました、とレナーサは笑った。しかし、すぐに笑みをさっと引かせる。
「リーファ、あなたはどこに行ってしまうのですか?」
 悲哀の含まれた声だった。神に楯突く。神に敵対する。この国では自殺行為だ。
 リーファは、さあね、と笑った。
「私もシュウも、地べたを這いずり回って生きていくのが向いているんだよ」
 ウェルティア王子。彼は、王子なんてガラじゃない。遊郭を巡る遊び人の方が「らしい」し、実際にそんな人間だ。そして、それができる人であるし、レナーサ以上に、そういうことに固執している。
「辛くないのですか?」
 レナーサの質問に、リーファは何も答えなかった。その代わりに、笑った。シャーナの笑顔で。最下層の民が、最初に覚える、生きるために最も重要なこと。
 それは、笑顔。
 すると、レナーサも目を細めた。そして言った。
「もっと笑って下さい。あなたは、本当に綺麗に笑います」
「ありがとう」
 正面から言われると照れくさい。リーファはそう思って、何か言おうとするが、悲しいことに、自分の貧弱な語彙力で、レナーサに返す言葉が無い。
「きっと、ウェルティア王子もそう思っていますよ」
 悪戯っぽくレナーサが笑う。
「シュウに限って、あり得ん」
 リーファはきっぱりと言い切った。シュウが形にならないものについて感想を言うとは思えない。そして、何より、リーファについてなど、以ての外だ。
「そうですかー?」
 レナーサが口元を歪めて笑う。シュウとは比べるのが失礼なほど違うが、同じ類の笑顔である。
「何? その笑顔は……」
「まぁ、良いです。約束ですよ、リーファ」
 レナーサの笑みは、僅かに勝ち誇ったような色を含んでいた。
 その笑顔は何を意味していたのだろう。リーファは、真剣に悩みながら、部屋を出た。
 リーファはまだ気付いていない。
 リーファは確実に変わっていた。牢獄から出た時から、その変化は始まっていた。そして、王宮に入ってから、それは顕著になった。
 リーファ・シャーナ・シュライゼ。無知なるシャーナにしては、異常な程、頭の冴える魔術師。


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