最下層の魔術師
五里霧中

 シュウは、定期的に人を斬っていたし、リーファが嫌な顔をするようなこともしていた。
 シュウは自分がそういう点で狂っている自覚はあるし、何故こうなっているのか理解もしている。
 そして、「罪悪感を感じている自分」の存在も、認めていた。だから、その罪悪感を少しでも減らすため、虐げる者を斬る。弱者を虐げる者であれば、と思えば、幾分か気も楽になる。
 僅かに欠けた満月。シュウは、昼間のうちに目をつけておいた役人を斬っていった。当然、兵士も出てくるが、兵士程度では、シュウは小さな怪我すらしない。しかし、今日は違った。
「あーあ、やってしまったな」
 敵は全て斬り殺した。しかし、シュウは溜息を吐いた。そして、自分の腕に視線を落とす。紅の衣を突き破り、ざっくりと斬れており、だくだくと血が流れ落ちてくる。町の中なのだから、誰かに助けを求めよう、と思い、シュウは静かに歩き出した。
 しかし、出血による貧血で、酷い眩暈が襲う。シュウの意識が途切れるまで、それ程時間は掛からなかった。


 シュウが目を覚ましたのは、小さな民家の中だった。気を失ったあと、町の人に介抱して貰えたらしい。
「目が覚めましたか」
 慌てて体を起こすと、木のテーブルの横に、いつか助けた女がいた。
「二度もお会いできるとは思ってもいませんでした。先日は、ありがとうございました」
 女は、水はどうですか、と言って、シュウのいるベッドの横の小机に水を置く。シュウが礼を述べると、女はくすりと笑った。
「お一人ですか?」
 シュウは、その女がリーファの知り合いだ、と言っていたことを思い出した。
「近くにいる」
 シュウはそれだけ言って、立ち上がろうとするが、体に激痛が走る。大怪我なんですから、と女に言われ、そのままの体勢で我慢する。
「リーファは、元気ですか?」
 女に笑顔を向けられた時、そういえば最近、リーファはあまり笑わなくなったな、とシュウは思った。
「元気だ」
 答えるまでの僅かな間が空いた。僅かに曇る女の表情を見て、即答すれば良かった、シュウは思った。


 時を同じくして、森の中では、香ばしい匂いが消えかかっていた。
「シュウ、遅いねぇ。全部食べちゃったのに」
 そう言って、ミューシアは自分の食べた肉の骨を見る。肉を焼いていた火は消えており、すぐ近くでは、リーファは、魔術を駆使しながら、てきぱきと動物の死骸を片付けている。
「今帰って来られても不味いですけどね」
 ビアンカは、跡形も無く肉が残っていない骨の山を見た。今帰ってきて貰っても、食べる物が無いのである。
 皮を束ね終えたリーファは、気になっていたことをビアンカに尋ねる。
「シュウがどこに行きたがっているか聞いている?」
 自分たちの足が、王都から遠ざかっているのは分かるが、どこへ向かっているのかをリーファは知らない。
「随分前でしたけど、リーファが戻ってきたら、エルストア帝国に向かうと言っていましたよ」
「エルストア帝国って?」
 リーファは、目を細めた。
 リーファ・シャーナ・シュライゼは、神聖レンシス王国しか知らないし、セフィリス・サラヴァンは、今の世界を知らない。
「ここから南下したところにあるフレスト海峡を渡った向こうにある大陸が、エルストア大陸というのですが、そこにある大国です」
 エルストア大陸は、昔のユーリス大陸のことか、とリーファは思った。当然のことながら、数百年前の知識ならば、この中での誰よりも詳しい自信があった。よって、様々な知識が流れ込んでくるが、知識といえども数百年前のこと。役に立たないこと限りない。
「僕やミューシアは確実に目立ちますけど、シュウはそんなことはないでしょうね。見るからに、エルストア大陸の人間なので。彼、エルストア人の血が入っているんじゃないでしょうか」
 ユーリス大陸の人間は、肌の色が濃く、髪の色は黒色だった。
 リーファは、昔見たユーリス人をゆっくりと思い出していた。
「本当に、シュウはどこに行ったんだろうね」
 そして、ミューシアのこの一言で、リーファは、シュウがいないことを漸く思い出す。
「そのうち帰って来るでしょう。全く……人間は、子どもでも、行く場所と帰ってくる時間を言いますよ」
 ビアンカが、徐に溜息を吐く。美しい顔に浮かべられた憂いには、心配など欠片もない。呆れているだけなのだ。
「あれを人間として認めるのもどうかと思うよ」
 さして、リーファが止めを刺す。
 まさか、彼が九死に一生を得たとは、誰も思っていない。


 女、ルフィーナは、それから一度実家に帰ったが、何しろ結婚相手から逃げ帰ってきたため、居場所はあるはずもなかった。しかし、この町で居場所を見つけたらしく、楽しく暮らしているらしい。
「それで、リーファとは何かありましたか?」
 一時間ぐらいで歩けるぐらいになるのは、やはり神の手が加えられていないからだろう。シュウは、簡単に礼を述べて、野宿場所に戻ろうとした時、ルフィーナはそう尋ねた。
 シュウは何も無い、と短く答えた。
「何もないというのなら、まだまだですね」
 ルフィーナは、シュウの背中に向かってそう言った。
「彼女は気難しいですから」
 くすりと笑ったルフィーナ。シュウは、振り返ったが、ルフィーナについて深くは追求しなかった。だから、リーファの抱えているものだけではなく、ルフィーナがシュウに意図して隠していたことまで、知ることができなかった。
 この王国で、離婚した女の行くべき場所など、あるはずも無いことは、少し考えれば分かるはずだったのに。


 リーファは、大怪我をして帰ってきた男に、どこに行っていた、とは尋ねなかった。しかし、ビアンカに比べたら遥かに良い。ビアンカは、ついに罰が当たったのですね、と天使の時と全く変わらない美しい笑顔でそう言っていた。
 誰も彼の身を心配しないのは、いつものことである。
 しかし、リーファには理由があった。
 聞きたいことがあったのだ。リーファは、ミューシアとビアンカが眠ったのを確認してから、リーファは早速尋ねた。
「それで、エルストア帝国に行くらしいね。故王妃は、エルストア人だったのかな?」
 シュウは、驚きもせず、火の片付けをしながら、淡々と述べた。
「セレシアは、エルストア帝国の第十三皇女、フェーリア(国外)から来た王妃。だが、ヴァルシアがセレシアの実子であるとされているんだが……気になることがあってな」
 まるで意識が別のところにあるかのようにシュウは喋る。
「エルストア帝国は、皇女を送り込んでから全く国に使者を送ってこない」
 リーファは目を細めた。リーファ自身には、政治知識は無いが、セフィリス・サラヴァンの記憶を遡れば、それがおかしいことは明らかである。
「魔術に長けていて……頭は良かった?」
 それも、魔術の才能のある皇女。これ程までに、有用な皇女を、国外に出すこと自体おかしいが、それをそのまま放置となれば、何かあると考えざるをえないだろう。
「悪くはなかったと記憶している」
 その言葉に、絶対に何かがある、とリーファは確信した。
「しかし、故王妃……おそらくあいつは、かなりの食わせ者だぜ。帝国に真意を尋ねる。まぁ、俺は利用価値はあるわけだから、殺されはしないだろう」
 リーファは、シュウの言葉に頷いた。そして、漸く尋ねる。
「それで、見誤ったわけでね」
 包帯だらけの体。染みついた血の臭い。体を庇うような動作の数々。明らかに重傷の状態で帰ってきた男。彼の強さは、リーファが良く分かっている。
「見誤ったことは、確定かよ」
「それ以外では怪我はしないだろう」
 その強さの一つは、自分の実力と相手の実力の正しい把握。元々の身体能力は申し分の無いシュウが、大怪我をするなど、これ以外は考えられない。
「とりあえず、上を脱げ。なーに、心配しなくても、血を見て狂乱状態には……ならないと思う」
 リーファは、シュウの治癒のために、体力を温存してきた。さり気なくシュウの顔色を窺いながら、悪戯っぽく笑う。
「絶対なるなよ」
 一応重症患者は、素直に従いながらも、かなり必死になって言った。その反応に、リーファは安堵するように笑った。

 関係は少しずつ、修復されているのだ。

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