最下層の魔術師
女魔術師と剣士

 覇王は玉座で髪を掻き分けた。
「この世界には、神を殺す方法がある。だが、私はその方法をとりたいとは思わない」
 外は夕日で紅く染まっているだろう。しかし、玉座の間はいつもと変わらぬ白い光で満ちている。
「神がいても構わない。黙って見ていて、稀にささやかな人間の願いを叶えてくれれば良いじゃないか」
 その時に、バルベロが堅い表情をしていたのに、覇王は気付いていた。
「神は、お前の心の支えなのだろう、バルベロ」
 覇王は確かに微笑んでいた。
 覇王は元々、神を憎んでいたわけではない。ただ、神に自分の大切なものを奪われたと思い、神を恨み始めた。覇王に道を外させたのは、神とバルベロで、それによって被害を被ったのも神とバルベロだった。
 覇王はバルベロに対して、許されざることをした。しかし、どうして最後まで覇王の支えになってくれなかったのだろうか、という思いは消えない。
 それはリーファが覇王の魂を持っているからではない、とリーファは思っていた。リーファは覇王の転生者であると同時に、理解者である。リーファは、それを認めていた。


 リーファは、船に乗っていた。一人で、船のデッキで離れていく神聖レンシス王国を見ていた。無事港まで辿り着いた一行は、シュウに船のチケットを貰った。
 シュウがどのようにして、それを手に入れたのかは、誰も聞かない。ただ、シュウは、ちょっと近くの農民から、野菜を買ってきました、というような感じで戻ってきた。だからこそ、聞いてはいけないのである。
 農民から、野菜を買ってきました、というような雰囲気で、人を脅して買ってきました、と言われては、衝撃も大きい。大体、微妙な血の臭いのせいで、現実味は増しているのだ。
 ミューシアでさえ、それを悟っているのだ。悟らせている方もどうかと思うが、それがシュウという男なのである。
 リーファは、小さくなっていく陸地を見て、溜息を吐いた。
「本当に、どうすれば良いんだろうね」
 リーファには、シュウの考えていることは、全く分からなかった。
 そして、いつもなら上手に収めることができるのに関わらず、未だに謝ることすらできていない自分も、よく分からなかった。

 リーファは、女性でありながら、思考の一部は男性的だった。そして、シュウは、男性でありながら、思考の一部は女性的だった。そのせいで、二人は、お互いの考えていることがほとんど理解できなかった。


 ビアンカとミューシアは大人しく船に乗っていた。しかし、船室のベッドで爆睡しているシュウを置いて、リーファのあとをつけていた。
 何かがあったことにビアンカは気付いていた。しかし、ビアンカが知っているのは、シュウがセフィリス・サラヴァンの魂を持っているということだけ。
「何があったんでしょうね」
 ビアンカは、自分と同じように、リーファとシュウの異変に気付いたミューシアに向かって、そう言った。
「気まずそうだよね」
 どこでそんな言葉を知ったのか、と思いながら、ビアンカは、ミューシアの横顔を見る。すっと細まった青の瞳を見て、ビアンカは一瞬戦慄を覚えた。
「考え過ぎてお腹減っちゃった」
 しかし、気のせいだった。
「色事関係では無さそうですね」
 ビアンカは深く尋ねることなく、そう言った。
 色事ならば、シュウがリーファに遠慮する理由が分からない。
 しかし、ビアンカには気になることがあった。
 リーファ・シャーナ・シュライゼ。彼女は、派手に魔術を使うことはない。しかし、彼女の魔術は、“人間とは思えないもの”。そんな強い魔術を人間が使うことができない理由を、ビアンカは知っている。熾天使だけが知っている神の心。
 リーファ・シャーナ・シュライゼが、神の恩恵を受けていないのだったら、彼女が抜きん出た魔術を使えるのも、シュウと何かがあったということも、説明が可能だ。それに気付いたビアンカは、吐息になったような言葉を紡ぐ。
「エレカでしょうか、バルベロでしょうか」
 ミューシアには聞こえない程度の声だったため、ミューシアは大きな目で、リーファを見ているだけだった。
 身も心も覇王に喰われたエレカ。生き地獄を味わされたバルベロ。両者とも、セフィリス・サラヴァンに虐げられた者。その二人のことを考えながら、海を見ている女魔術師を見る。
「ウェルティア・レンシスをどうにかしなければいけませんね」
 声になるかならないか分からないような呟きは、広大な海に消える。


 船の中にはレストランがある。リーファは、人混みがあまり好きではないため、近寄ることは少なかった。それでも、海の見える魅力的なレストランに、足を運んでみよう、と一度ぐらいは思うのは、おかしいことではない。その上、神聖レンシス王国の人間か少ない船内のため、それ程気を遣わなくても済む。
 お金には余裕があった。安い船なので、それ程値段は高くもない。
 本来ならば、誰かと一緒に食べたい、とリーファは思っていたが、ミューシアとビアンカは、外食できるような胃の持ち主ではない。そして、シュウとは、二人きりで話す気がしなかった。そのため、リーファは一人で店内に入った。
 御一人ですか、と笑顔で案内をしてくれる店員について、海の見える席まで歩いていく。
 人間というものは、一人で歩く時、前だけを見ていることは少ない。その上、ここは海の見える賑やかなレストラン。リーファも例外ではなく、周囲を見渡しながら歩いていた。
 それが良くなかった。
 窓辺の席の亜麻色の頭の反対側の黒い髪。笑みを作るように歪められた口元。この船では珍しくない黒い双眸と目があった時、リーファは非常に不快になった。
 気まずい思いならばまだ良かった。しかし、リーファは、不快に思った。腹立たしいわけではない。不快だったのだ。
 シュウという男が女と談笑している姿を見て、自分が不快に思う理由を理解しているリーファは、そのまま真っ直ぐ部屋に戻り、寝台に横になった。「見たもの」に対して不快に思っているのではない。「見たもの」を見て、不快に思った自分が不快なのである。暫くして、どたばたと三人が戻ってきた後も、ミューシアを抱きかかえる気にならない。これが不貞寝であるということも知っているリーファは、大人であるのか子どもであるのか。
「リーファ、何していてやがる? 具合が悪いのか?」
 カーテンの向こうから聞こえてくるシュウの声。リーファが疲れてる時には、殺意を向けられる可能性が高いため、顔を見せずに、ビアンカとミューシアに、様子を見るように促しているのだろう。シュウ本人は、興味が無さそうに呟いた言葉なのだが、意外と真意は読み取りやすい。シュウはリーファを心配していたし、リーファはそれに気付いていた。
 リーファは寝返りをうつ。
 目が合ったのだから、レストランで、自分がリーファに見られていることは分かっているのだ。しかし、それが純粋に、リーファの行動と結びつかないのである。異性と共にいる自分と目が合ってから、席に座ったもののすぐに席を立ってしまった異性の相方に対して、確信は持てずとも何か思うことはあるのが普通。
 しかし、その「思うこと」が真っ先に排除されているシュウの思考。それも、リーファの不快という感情を増幅させる。
「リーファ、気分悪いの?」
 様子を見に、そっとカーテンを開けて心配そうにリーファを見上げるミューシア。
「疲れているみたいだから、休ませて」
 リーファは大きな青い瞳に向かって微笑んだ。


 シャーナの魔術師リーファ・シャーナ・シュライゼと、覇王セフィリス・サラヴァンことセイリアには、共通点があった。それは、自分の感情を隠すのが上手かったこと。そして、神聖レンシス王国のウェルティア王子ことシュウと、聖騎士バルベロにも共通点があった。それは、自分の感情を隠すことに価値を見出せないことと、自分を偽らないことだった。
 バルベロは、セイリアの考えていることは分かったが、セフィリス・サラヴァンの考えていることは分からなかった。ただ、セフィリスが、支配者として、人を殺したり、国を攻め滅ぼしていることは知っていた。そして、神に何の期待もしていないことも知ってしまった。
 二人の間の行き違いが悲劇を生んだのだ。
 それに気付いてるのは、女性の感性と、僅かながら男性の感性を併せ持つリーファ・シャーナ・シュライゼ、ただ一人だった。

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