最下層の魔術師
美しい町

 リーファは、見えなくても良いものが見えてしまうことが多い。否、見えなくても良いものではない。見えるべきだが、見えない方が見る側としては楽なものが見えてしまう。
 しかし、旅の仲間はそうではなかった。
「そんなことないもん。ミュウ、そんなことないもん」
 ミューシアは、頬を膨らませて、手を振り回しながら、必死に主張していた。何がそんなことないのか、話を聞いていなかったリーファには分からないが、どうでも良いことである、というぐらいは分かった。
「そんなことないのならば、今すぐ崖っぷちから飛び降りてください」
 冷ややかな目を向ける堕天使の口元には、嘲笑が乗っている。もう、ここまで来たら、可愛らしさを通り越して救いようがないな、と思ってしまうリーファは、決して気が短い方ではないはずだ。
「手前ら五月蝿せー、黙れ。これ以上騒いだら殺すぞ」
 そして、刀に手をかけ、今にも斬りかかりそうな、一応最年長者。
 外国に来たというのに、注意力散漫以前に、いつもと変わらない旅の仲間に、半ばうんざりしながら、リーファはミューシアを抱き上げた。永遠と広がる海に目をやったのは、現実逃避では無いはずだ。


 リーファが仲間にうんざりしているにも、わけがある。
 その港町は、確かに美しかった。煉瓦造りの家が並び、道には石が敷き詰められていた。リーファは大通りを歩いていたが、大通りを行きかう人々を見ていたわけではなかった。
 リーファがみていたのは、家と家の間の小さな道を走り回る、泥だらけで痩せた子どもたちだった。
「どうした、リーファ」
 シュウは見えないものは見えないタイプだが、見ようと意識している者は見える。リーファは、シュウに気遣われていることぐらいは気付いていた。そして、それがまた、リーファにとっては嬉しくもあり、また、不快でもあった。
 何故、好意のある相手に気遣われ、不快であるのか。それは、リーファ・シャーナ・シュライゼが、シャーナの魔術師であることに由来する。
「ああ、子どもか。食べ物を欲しがっているから、食べ物をやろうと思っているのか?」
 リーファが何かを言う前に、シュウは気付いたようだった。
「違う。こんな子に、食べ物をやってはいけないよ」
 セフィリス・サラヴァンもそうであったが、リーファ・シャーナ・シュライゼは、言葉が足りないことが多い。そして、困ったことに、セフィリスもリーファも、自分でそのことに気付いていなかった。
「シャーナのくせに、人を労れねーのか?」
 ぐいっと肩を掴まれ、暗い路地に引きこまれ、壁に押し付けられる。リーファは抵抗することはしなかった。シュウが使った力も強くはなかった。もし、シュウが本気で力を使えば、シャーナの体は砕け散ってしまう。
「君は、飢えた子どもをなめている。この国をなめている。何も分かっていない」
 蔑まれた経験と覇王の知識を持ち合わせているのは、今ここにいるリーファ・シャーナ・シュライゼだけである。
「リーファ・シャーナ・シュライゼ、それはお前の言葉か?」
 しかし、リーファは静かに瞼を落とす。口を閉ざした魔術師は、剣士から目を逸らす。


 シュウは賢かった。彼は、もし、リーファがリーファとして得てきた知識だけで、子どもに食べ物をやってはいけない、と言ったら、シュウはそのまま聞き流しただろう。しかし、リーファがそうではないことを、シュウはすぐに悟った。
 勿論、彼はそれを意識しているわけではない。しかし、理論よりも感覚で動くシュウの言葉は、的を外すことは少ない。今回もそうだった。
 シュウはリーファを恨んでいるわけではない。気持ちの整理をしっかりとつけていたため、荒々しい感情をリーファ・シャーナ・シュライゼに向けることはない。しかし、シュウはセフィリス・サラヴァンを憎悪していた。
 バルベロでさえ許容できないシュウは、リーファかセフィリス・サラヴァンを許容しているとは思ってもいない。
「おい、何か言えよ」
 最初は強気で聞きだそうとするが、リーファの表情を見たからだろう、その乱暴な声はやや小さくなる。
「気分悪いのか?」
 本音を言っているかどうかは兎も角、はっきりと物を言うリーファが、黙り込んでしまっていることに、シュウは不審感を露わにする。
「大丈夫」
 リーファがゆっくり息を吐く姿を見て、いくらか安心したのか、シュウは溜息を吐いた。
「手前なぁ、何考えているかさっぱり分かんねぇよ。理由言えよ、理由っ」
 覇王は賢かった。異文化や思想を許容するだけの懐の深さがあった。しかし、それはバルベロに理解されることはなかった。覇王自身も、まさかバルベロに己が理解されていないとは思ってもいなかった。
 何を考えているのかが分からない、とバルベロが言えば、覇王はバルベロが納得するまで自分の考えを話しただろう。しかし、バルベロは尋ねなかった。二人は近くにいながら、お互いに離れていくばかりだった。
 シュウの言葉は、バルベロが言うべきだった言葉であり、覇王とリーファに必要な言葉だったのだ。


 リーファは説明を始めた。シュウを馬鹿にする素振りもなく、ただ淡々と話し始めた。
「簡単に言うと、この国は貧富の差が大きい。この国には飢えた子どもがたくさんいる」
 貧富の差の大きい国は、国民の多数が飢えている。普通に生活をしている国民の数が極端に少なくなるのだ。
「一人にあげれば、全員が欲しがるだろう。私たちのお金は尽きてしまうよ」
 何せ命が懸かっているのだ。相手のことを顧みることなどできるはずがない。
「彼らは生きるために必死だ。何だってやる。生死がかかっている人間を甘く見てはいけない」
 リーファは説明し終えると、シュウの表情を窺った。
「それを先に言え。手前は言葉が少なすぎる。面倒臭がらずに言えよ」
 シュウは、面倒臭えことになっただろ、と言わんばかりである。リーファはシュウの言葉を否定することはなかった。シュウのあっさりとした反応に、一瞬呆気にとられたような表情を浮かべたが、すぐに元に戻る。
「そうかもしれないね」
 ただそう言って、この人には王子は似合わないな、と思いながら微笑んでいた。バルベロにしろ、シュウにしろ、支配者となるには優しすぎる。優しすぎる支配者は、自身と民の両方を不幸にする。
 だから、セフィリス・サラヴァンとバルベロは十分に話し合う必要があった。覇王の考えは、騎士には理解が出来なかった。それは当然のことだった。生まれながらの支配者の心を持つ者しか、口数少ない覇王の考えを理解することはできない。
 しかし、きちんと丁寧に説明をすれば、同じ考えを持たなくても、納得して貰える。リーファはそのことに漸く気付いた。リーファが思っていた程、シュウは頑固では無い。


 路地からふらりと出た二人を出迎えたのは、哀れに思えるぐらい目立っている二人組だった。
「リーファ、どこにいたの?」
 ミューシアはリーファに抱きつく。リーファは、シュウと話をしていただけ、とさらりと言うと、ミューシアを抱き上げた。
「探したのですよ」
 宿も取っておきました、とビアンカは笑顔を浮かべながら言った。
「何しろ、目立ちますからね」
 漆黒の大きな翼に明るい頭髪、人間には見えない美貌を持つ男は、リーファに笑顔を向けた。リーファは、ありがとう、と微笑んだ。
「主に手前がな」
 無表情のシュウはビアンカの爽やかな笑顔を見てから、珍しくまともなことを言った。シュウの無表情の理由にリーファは気付かない。
「多分、俺はこの中では一番目立たねぇな」
 それには同意しかねる、とリーファはシュウの派手な衣を見ながら思った。そして、黒とか濃紺の方が似合うのに、とも思うが、何も思っていなかったことにする。そんなことは口が裂けても言えないのが、リーファ・シャーナ・シュライゼという人間である。
 静かにその場を去ることなど、不可能に近いし、実際にできていない四人は、お世辞にも静かであるとは言えない様相で、宿へと歩いていく。その騒ぎの中に、リーファの呟きは消えた。
「それでも、この国にいる孤児全員の衣食住を保証しても、金の尽きない人間は存在するだろうね」
 リーファが浮かべた笑顔は、嘲りと諦めを孕んだ複雑なものだった。

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