リーファ・シャーナ・シュライゼ、
シャーナの魔術師が贈る物語


「リーファは働き者だ。神様も、リーファのことを見ているだろう。来世は、きっと素晴らしい人間になれるよ」

 近所のおじさんは、シャーナの仕事をこなす私を見ながら、よくそう言っていた。私は、そのおじさんにとって、"素晴らしくない人間"だった。

 シャーナは、家畜を奢殺して、血抜きをして、肉を食べられる状態にして、皮を加工する。毎日毎日それをやっているから、手は生臭い。それに加えて処刑なども担当している。
 気持ち悪がられるのも無理もない、と思っていた。
 だから、黙っていた。

 シャーナの中には、反旗を翻す者もいた。皮の加工による異臭を放ちながら、自宅までの道を歩いていると、シャーナの男数人がヴィアナの子どもたちを囲っていた。私は幼いながら、シャーナの男たちが卑怯だと思った。
「お兄さん、やめなよ、みんな怖がってるから」
 怒りを覚えるのも理解できないわけではなかった。しかし、無力な子どもを怯えさせて、自分が優位であることを堪能することは見っともない。
「なぁ、おかしいと思わないのかよ?」
 本質をついた言葉に、首を横に振る。
「そういう問題じゃない」
 小さな子どもを大人の男で囲っているというところが間違っている。勿論、彼らの気持ちは理解できたが、だからこそ、弱い者を脅かすことはやってはいけないことだろう。
 自分まで睨まれ、怖いと思ったが、偶然助け船がやってきた。
「リーファ、今仕事が終わったのか」
 声のした方を振り返ると、カーリィ・シャーナ・シュライゼ、私の兄がいた。
「カーリィ、お前の妹か」
 私は男の一人を見た。兄と同じぐらいの年のようだった。
「悪ぃなぁ、リーファが迷惑かけたか?」
 兄は私の腕を強く引き、自分の斜め後ろに立たせた。強い力で握られているはずなのに、腕は不思議と痛くなかった。
「いや、そんなことはない」
 兄は、そうか、とだけ言って私の腕を掴んだまま立ち去ろうとした。私は、彼らと子どもたちのことが気になり、兄に引かれながらも振り返った。
 その時だった。
「シャーナの分際で、何をやっているんだ、この馬鹿者が」
 シャーナがシャーナであることを愚弄する。何て愚かなんだろう、と私は思った。流石の兄も足を止めた。
 カサンダ、と兄が叫び、騒ぎを聞きつけたのか、慌てて家から出てきた見知らぬおじいさんが叫ぶ。魔術の呪文など知らなかった私は、呪文なしに魔術を発動した。自分自身で出した魔術であったが、大きな爆発音と凄まじい光は予想外のもので、私は座り込みそうになった。
 しかし、それは音と光だけだった。中心にいた者たちは呆然としていたが、怪我はなかった。しかし、ヴィアナの女の子が一人だけ泣いていた。
「怪我したの? ごめんね」
 女の子は驚いて転んでしまったらしい。膝を擦りむいて泣きわめく女の子に、周囲の子どもたちの視線は冷たい。
 私は女の子に近付いた。女の子は泣きながら私を追い払おうとしたが、私は無視して近づいた。そして、ぱん、と手を叩く。傷を治す簡単な魔術だった。
「ほーら、治った」
 それだけ言うと、じゃあね、とすぐに立ち去る。私がシャーナであることが理由で、彼らともめる可能性もある。本当は仲間に入れて欲しかったけど、私はカーリィ兄のお手伝いをしないといけない。
 カーリィ兄は何処だろう、と探す。人混みの中をちょろちょろ動いていると、ちょっと、と呼びとめるような声を聞こえた。
 振り返ると、カサンダという青年と青年によく似たおじいさんがいた。
 おじいさんはしゃがみこんで私の両手を握った。しわくちゃで乾いたかたい掌はとても大きくて温かかった。
「ありがとう。ありがとう、シャーナの魔術師さん。うちの馬鹿息子を助けてくれて。奴らが逃げてくれたおかげで、うちの馬鹿息子は助かったよ」
 シャーナの魔術師、という言い方は、あまり好きにはならないような呼び名だったけど、このおじいさんの声で紡がれるシャーナの魔術師、という呼び名は大好きだった。身分差別は嫌だけど、この優しいおじいさんと同じシャーナであるという事実が、無性に嬉しかった。
 たとえシャーナの中に、やり場のない怒りを子どもにぶつける人がいたとしても、仲間を身分で愚弄する人がいたとしても、このおじいさんがいるだけで、私はシャーナで良かったな、と思うことができる。


「リーファは働き者だ。神様も、リーファのことを見ているだろう。来世は、きっと素晴らしい人間になれるよ」
 そう言って、鼻が曲がるような異臭のする手で頭を撫でてくれる近所のおじさん。きっと、おじさんは私を褒めてくれているだけだろう。しかし、私はこう返したい。
「私は、生まれ変わってもシャーナがいいよ」
 シャーナでいいんじゃなくて、シャーナがいいんだ。どんな動物でも命を食って生きている。それは残酷だがとても美しいことだ。それを知っている。それを肌で感じている。たとえ、どれだけ蔑まれようとも、私はこの仕事に誇りを持っている。


 おじいさんと別れ、兄を探して歩いていると、ちょんちょんと肩がつつかれる感覚がした。振り返ると、シロラの女の子がやや俯き加減で立っていた。どうしたの、と尋ねようと思ったけど、それよりも先に女の子の方が口を開いた。
「ルフィーナ・ヴィアナ・ヴァーレン」
 いきなりそう言われたため、私は驚いた。何を言っていいのかが分からなかった。
「名前……」
 女の子が小さな声でそう言った。私はそこで漸く、彼女の意図が分かった。
「私はリーファ。リーファ・シャーナ・シュライゼ」
 私は自己紹介をした。すると、女の子、ルフィーナは少しだけ口元を緩めた。
「助けてくれてありがとう」
 ルフィーナの声は小さな声だった。それでも嬉しかった。
「私は魔術師だから、困ったときはいつでも呼んでね」
 笑顔で手を差し伸べると、ルフィーナは握り返してくれた。
 シャーナでも、身分差別をする人がするし、しない人もいる。友達になれる人も友達になれない人もいる。ヴィアナも同じだ。結局、身分で人間性は計れない。
 ルフィーナに手を振っていると、大きな手が私の掌を握った。
「リーファ、大丈夫だったか?」
 横を見上げるとカーリィ兄がいた。
「うん、大丈夫。カーリィ兄の友達が無事でよかった」
 そう言うとカーリィ兄は、ありがとう、リーファと言って私の頭を撫でてくれた。二人で手をつないでゆっくりと帰路につく。
「カーリィ兄、今日もウィンダ兄は帰りが遅いって」
 ウィンダ・シャーナ・シュライゼと私は同じ場所で働いていた。慎重な性格のウィンダ兄は、いつも丁寧に仕事をしていた。そのため、毎日のように最後まで残って仕事をしていた。
「ケレビスはもう帰っているはずだ」
 カーリィ兄はケレビス兄と同じ職場だ。
「ケレビス兄はいつも早いね」
「あいつは仕事が雑なんだ」
 私は、三人の兄を持つ末っ子だった。私が物心つく前に両親が病死したからだろうか。三人の兄は、年の離れた妹の面倒をよく見てくれた。しかし、三人とも私が投獄される前に死んでしまった。三人の兄は次々と死んだが、一人一人の死を今でも鮮明に覚えている。
 最後に死んだカーリィ兄は、私を一人残して死ぬことはない、と言いながら死んでしまった。私は既にウィンダ兄とケレビス兄を亡くしていたため、カーリィ兄も死んでしまうと思って泣いていた。今思えば、きっとカーリィ兄は私を泣きやませたかったんだろう。最期まで心配をかけてしまったことを後悔している。
 皮の加工をする仕事は、病気になりやすい。私は兄を亡くす度に、私はシャーナではなければ兄が死ぬこともなかっただろうに、と思った。
 だから、何があっても生き延びたかった。たとえ、知らない大人だらけの牢獄に押し込められようとも、宮廷魔術師に狙われようとも、生き延びて隙あらば出て行ってやろうと思っていた。兄の分まで生きたかった。

 魂がセフィリス・サラヴァンのものだったから、私は生きる気力を失わなかったのだろうか。



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