最下層の魔術師
レンシス大聖堂


 持っていた衣の予備は、無事だったため、リーファとシュウはそれに着替えた。リーファの髪飾りも、無傷とはいえなかったが、原形は保っていた。
 リーファとシュウは、人気の無い町を歩いていた。目指すのは王宮。シュウは、王宮を全壊させたいらしい。リーファは、しっかりと指示を聞き、しっかりと邪魔をしようと目論んでいた。
 白亜の宮殿を、血で染める気などさらさら無い。確かに、王に一言ニ言言いたいことはあるが、そこまで恨んでいるわけではない。
 それに、王宮には、レナーサがいるのだ。リーファは、隣を歩く男を見た。
 計り知れ無い憎悪。
 リーファは前々から感じていた。シュウの破壊欲は、無差別に展開されるわけではない。国に仕える兵士、役人、そして、この国の基盤であり、この国を支える、身分制度。
 花嫁を助けた時だってそうだった。シュウは、この国を憎み、身分制度を壊したいと思っているのだ。王国が作り上げ、王国が愛する身分制度の破壊を、恍惚とした表情で見るのだ。
 それは、彼がレンシス所以なのか。それは、リーファには分からなかった。何にしろ、リーファには関係ないことだ。


 白亜の宮殿の門の前に、聳え立つのは巨大な塔。その名は、レンシス大聖堂。
 神を祭り、神の代弁者たるレンシス、つまり王族の者たちを讃え、神を支える身分制度を擁護する。二十六の入り口と、礼拝所がある。
 シュウは、歩き続けた。そして、最も立派で、最も大きな門の前で立ち止まる。目の前には、ずらりと兵士が並んでいる。  門に記された文字は、「R」。美しい天使に囲まれた不思議な模様。地にはドラゴンが這いつくばっていた。差し詰め、悪役と言うところだろうか、と思い、リーファは醜く描かれたドラゴンに、仲間を殺された小さくて可愛らしい少女を思い出した。
 そんなことを考えていたら、兵士たちから、誰だ、何の用だ、ここがどこか分かっているのか、というお決まりの三点台詞を聞き、さらに異国風の服装から、どこの人間か、尋ねられる。
 リーファは、一歩引いたところから見ていた。
「王に言え、今帰った、と」
 結局、シュウは質問に答えなかった。さも当たり前のように、人の悪い笑みを浮かべながら、質問を無視するのは、流石に兵士も不憫だろう、とリーファは思った。
「何者だ?」
 めげずに尋ねてくる兵士の健気さに感心しながらも、リーファは何も言わなかった。
「ああ、ヴァルシアも呼んでおけ」
「ヴァルシア様を、呼び捨てになど……」
 金属音が鳴り響く。リーファは、目を細めた。うっかり参戦し損ねたのだ。
 しかし、リーファの心配に及ばず、シュウは無傷だった。それどころか、兵士たちを蹴り倒し(聖堂を血塗れにしない常識はあったらしい)、剣を突きつける。
「首を洗って待っとけ、と伝えろ」
 シュウの笑顔と刀に、腰を抜かした兵士たちは、走り去っていった。満足げに笑う男の後姿に、リーファは言い放つ。
「古い」
 言い回しが古いのだ。
「黙れ」
 口だけで笑いながら、シュウはさっさと門を開け、中に入っていってしまった。
 開け放たれた門から見えるのは、静かな白亜の礼拝所。宮殿に繋がる最短の道。光差し込む美しき壁に刻まれたのは、巨大な絵。
 リーファは、ゆっくりと足を踏み入れた。


 静寂に包まれた大きな礼拝所。異国風の軽装という合わないにも程がある服装の男は、大きなアーチの前で言った。
「リーファ、この中で血が流れることはねーはずだ。後で迎えに来る。手前が必要なのは、その後だ」
 リーファは、是非ともついて行きたいところだったが(何をやらかすか不安で仕方がない)、何か意図があるのだろう、と思い、承諾した。
「ハーザス、いるだろ。こいつが飽きねーように、何かやってくれ」
 シュウは、祭壇の隣の通路に向かって、それだけ言うと、立派なアーチを潜ってさっさと先に行ってしまった。
 取り残されたリーファは、通路の方へ顔を向けた。すると、通路の方から衣のずれる音がした。
「こんにちは、あなたのお名前は?」
 廊下から出てきたのは、聖職者だった。おそらく、レンシスであるだろう優男は、ふわりと微笑んでいた。
「リーファです」
 リーファがそう答えると、男は穏やかな声で言った。
「世界、ですか。良い名ですね」
 リーファは、男について尋ねようと思ったが、どうでも良いのでやめておいた。シュウに任されているということは、一応信頼はできる。それだけで十分だった。
 リーファは、それよりも、天井や壁に描かれた絵の方が気になっていた。
「美しいですね。ここには、何が描かれているのですか?」
 多くの人々や天使や神が描かれた絵画。それらは、まるで物語のように連なり、礼拝所を覆っていた。


 男は微笑んだ。
「この国の建国史です。神に殺されたセフィリス・サラヴァンの築いた大帝国が分裂し、この国は生まれました」
 そう言って、天井の真ん中に高々と描かれた神と天使たち、そして地面に斃れる男を指差した。リーファは、神や天使はどうでも良かったが、斃れた男の方には目がいった。
 セフィリス・サラヴァンだろう。確かに、その大きな鼻や、小太りな体、大きな顔や垂れた頬は、美しいとは言い難い。
 しかし、リーファのどこで見たのか分からないセフィリス・サラヴァンの姿とは、大きく食い違っている。リーファの想像では、細身で、黒髪で黒眼で、怜悧な顔立ちをした若い男だった。容姿も端麗で、こんな絵のような苦々しい表情など欠片も見せず、どんな苦境でも、不敵に笑っていた。
「そして、この国は、神のご加護を受けたのです」
 男の声は、遠くから聞こえているかのようだった。
 この国の神のご加護などどうでも良いのだ。リーファの気になることは一つ。一体、自分がどこでそれを知ったのか、ということだ。
「セフィリス・サラヴァンは、忌むべき存在。覇道を貫いたセフィリス・サラヴァンは、神に殺されたのです」
 自分から聞いておきながら、穏やかな男の声を適当に聞き流すと、リーファは壁の隅に描かれた絵を指差した。
「では、この女性は?」
 銀色の髪の美女。白銀の鎧に身を包み、白い馬に乗っている。聖騎士か何かだろうか。しかし、それは美しい絵ではない。セフィリス・サラヴァンが、彼女の肩に、剣を突き刺しているのだ。
 剣が思いっきり奥まで突き刺されているのに、ほとんど血が出ていない、などということはどうでも良い。
 リーファは、セフィリス・サラヴァンと戦った女聖騎士を知っていた。バルベロという名の美しい聖騎士の名を。


 セフィリス・サラヴァンを巡る一連の知識は、誰かの昔話で得たのだろうか。リーファは、思い出そうとしてみるが、そんな昔話をされた覚えは無い。
「セフィリス・サラヴァンに殺された女性です。名前は、バルベロ。彼に殺された女性の一人です」
「何で殺されたんですか?」
 リーファは尋ねた。バルベロについては、名前を知っているだけなのだ。
 すると、男は顔を傾け、ゆっくりと息を吐いた。
「彼は冷酷無慈悲な人でしたから」
 冷酷無慈悲。リーファが想像しているセフィリス・サラヴァンは、確かにその言葉が当てはまりそうだった。
「意味も無く人を殺すのでしょうか」
 しかし、リーファの想像しているセフィリス・サラヴァンは、意味も無くそんなことをしない。気まぐれに人を甚振り殺し、自分の評価を下げるようなことはしない。
 リーファは、壁を見渡した。多くの天使たちと、神々しい神の絵。そして、今は亡き醜い覇王と、虐げられた女性。どれもが滑稽に見えて仕方が無いのだ。
 そして、滑稽といえば、もう一人。
「それにしても、遅い。心配です。多分死ぬことは無いと思いますが」
 リーファは溜息を吐いた。シュウはそう簡単に死ぬような人間ではないが(魔術もほとんど効かないのだ)、どちらかというと、何をやらかしているかが心配である。
 しかし、目の前の男は別のことを心配しているかのようだった。
「最も恐ろしいのは、死です。彼ほどの者であれば、輪廻から外されてしまうでしょう。赦されぬ罪を背負えば、輪廻から外されてしまいますから」
 輪廻。それは存在するものなのだろうか。リーファには分からなかったが、信じられないわけでもなかった。
「リーファ嬢、彼を宜しくお願いしますね。決して悪い子ではないのです」
 物腰穏やかな微笑と共に向けられたのは、悲哀に満ちた瞳だった。
「根は良い人だと思いますよ」
 根拠は無い。しかし、分かるのだ。シュウは決して根っこからの極悪人ではない。
 何故かはリーファには分からない。ただ、今からやることは一つである。
「とりあえず、あの未成年に悪影響の剣士の様子を見てきますね」
 気をつけて、と言う男に、会釈だけ返すと、リーファは、さっさと門を潜った。
 広がる道は純白、目の前に聳えるのは、白亜の宮殿。異様な静寂に包まれた、美しき王都の象徴。


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