最下層の魔術師
バルベロとエレカ

 王宮の中でも、落ち着いた明かり燈る部屋に、シルバーブロンドが輝く。手入れがされていないため、美しくはなかったが、綺麗だった。  エレカの部屋にやって来た客は、女騎士バルベロ。王の幼馴染であり、剣の実力も相当な物であるため、女たちの嫉妬と畏敬の対象だった。
 しかし、バルベロはいつも明るく元気だ。陰口は、原因は私の鍛錬が足りないからだ、と言って、剣技を磨く糧としており、嫌がらせを受ければ、私の騎士としての人間性が足りない、と言って、反省する。
 だから、バルベロの周囲には人が集まる。バルベロを嫌う人も多いが、好感を抱く人も多いのだ。
「また、一人でいて……」
 バルベロの口から、呆れたような声が漏れる。
「お気になさらないで下さい」
 いつもバルベロは、エレカを心配して尋ねてくる。王の妾であり、そのために友人の一人も持てず、さらには王も頻繁には通わないせいで、いつも一人でいるエレカ。王がなかなか足を運べない日が続くと、それに気付いたバルベロがやってくる。
 当然、王はバルベロに行け、などとは一言も言っていないだろうし、本音としては、そっとしておいて欲しいところだろうが。
「もう、何ではっきり言わないの。あんたは優しすぎるよ。あの大馬鹿王は、意地っ張りだからね。言い過ぎってぐらいが丁度いい」
 女性にしては大きな声と共に動かされる二の腕は、エレカとは比べものにならない程太い。あの覇王と剣でやり合っているのは、滅多に部屋から出ないエレカでも知っている。
「いえ、そんな……」
「言わないとあの馬鹿は分からないんだよ。何で、こんな美人を放っておくんだか、あの馬鹿は」
 御灸を据えてやる、などと古臭い言葉を吐きながら、バルベロは部屋を徘徊する。相当真剣に、「幼馴染に御灸を据える方法」を考えているらしい。
 しかし、すぐにピタリと動きを止めると、騎士装束を揺らし、エレカの方を見た。えっ、とエレカが戸惑いの表情を浮かべると、バルベロは言った。
「ちょっと、私、言ってやってくるね」
 そう言って、どたばたと慌ただしく部屋を出て行く。
 エレカは、一人残され、溜息を吐いた。
 仲良くなれるとは思っていない。しかし、確実に、この人だけには敵わない、と思っていた。
 エレカが何故王に惹かれたか。それは、王と自分が似ていたから。自分を貶めることに恐れを抱かず、真っ直ぐと明るく生きていくバルベロ。王もエレカも、そのようには生きることができない。
 王もエレカもバルベロに惹かれる。だから、バルベロに惹かれる王に、エレカは惹かれる。


 シュウはすぐにローリアと向き合った。
「久しぶりだな」
 吐き捨てるようにそう言って、ローリアが何かを言うより先にすぐに続ける。
「相変わらず、何考えているのか分からねーな。分かりたくもねーけどよ」
 すぐに斬り捨てるようなことはせずに、呆れたように言う。ローリアは、嫌悪感を顕にしていた。
「まさか、あなたが妖婦の転生者だとは、思ってもいませんでした」
 ローリアの言葉に、シュウが表情を歪めた。
「バルベロが妖婦? そんな馬鹿なことがあるか。無理矢理夜伽の相手をさせていたのは、あの男だ」
 だよな、とでも言うように振り返ったシュウに同意を求められ、リーファは黙って頷いた。間違っていない。リーファはそう思っていた。そして、リーファは、シュウが目を離す直前に、一瞬表情を歪めたことを見逃さなかった。
 何が気に入らなかったのだろうか、とリーファは思った。
 そして、ローリアが何かを言おうとするが、それより先に、シュウが動いた。
「エレカ、もう楽になれ。お前が愛した覇王は死んだ」
 血の飛沫が飛び散った。
 先程、護衛の者を斬った時に既に赤黒くなっていた黒髪は、再び血を被った。リーファの方にも、血の雨は降ってきた。そうは言っても、ごく僅かでもあったのだが。
「もっと早く殺しておくべきだった」
 シュウから滲み出た言葉は、突き刺すような物だった。決して荒い声ではない。彼特有の、低い静かな声だ。そして、意図があるわけでもなさそうだった。だからこそ、それはリーファに響いた。
 エレカは転生した。自我ができるより前に記憶を取り戻し、今まで押し殺してきた感情を反動の如く出すようになった。エレカは、ただ走り続けているだけだ。今も昔も変わらず、真っ直ぐと道を走っている。
 それは覇王の所為であり、シュウがエレカに同情しているのは明らかだった。
 リーファはスカートについた紅い染みを見た。それは、目の前の男が被った血と比べれば、ついていないも同然だった。


 シュウは随分と派手に侵入したらしく、屋敷で抵抗するような者たちはほとんど斬り殺されていたため、二人は悠々と歩くことができた。
 シュウに先に礼を言うべきか、先に謝るべきか、そしてどうやって切り出すべきか、と考えていたリーファの心はあまり悠々としていなかったのだが、斜め前を歩く男の足取りは軽かった。
「それで、大丈夫だったのか?」
 ずっと黙っていたシュウが、突然口を開く。一体何のことだろうか。リーファは一生懸命頭を働かすが、思い当たる節が無い。大体、リーファが怪我をしていないことなど、誰が見ても明らかだ。
「何が?」
 随分と間を空けてから、リーファは尋ねた。
「貞操」
 間髪入れずに言われる。確かに重要事項だが、あの別れの後に、最初に尋ねられた質問がこれというのもどうだろう、とリーファは思った。
「ギリギリ。本当にやられるかと思った」
 あれはかなり危険だった、とリーファは思っていた。それで、リーファがそう答えると、いきなりシュウが笑い始める。
「何がおかしい?」
 声が毛羽立つ。
 心当たりもないのに笑われると、リーファも気分が悪い。さらに、後味の悪いエレカの件の後だ。一体自分が何をしたのだろう、とリーファは思った。
「さぁな、考えてみろよ」
 帰ってきたのは、軽い声だった。


 ミューシアは、少しも変わっていなかった。
「リーファ、会いたかったぁ」
 大人しくできないからということで、森でビアンカとお留守番をしていたミューシアは、リーファを見るなり、飛び込んできた。
「急にいなくなってごめんね」
 一年前していたように、ミューシアを抱え、鮮やかな青い髪を撫でてやる。そして、そのまま、男二人に気になっていたことを尋ねた。
「それで、私がいない間は食事はどうしてたの?」
「知りてーかぁ?」
 にやりと人の悪い笑みを浮かべてシュウが尋ねてくる。
「いや、別に」
 これは、絶対に聞かない方が良い、とリーファは思った。しかし、リーファの腕の中で聞いていたのか、ミューシアが大きな青い瞳をリーファに向けて、言った。
「ひもじかった。猪とか熊とか、食べられなかったの。だから、人間を食べていたんだけど、人間不味いし、食べるところが少ないの」
 美味しい、と言われても困るのだが、リーファは不味いと言われても困る。それ以前の問題だ。皆で人肉を食っていたのだろうか。シュウは人肉を食べるなんて以ての外だろうが、ミューシアとビアンカなら普通に食べるだろう。容易に想像がついてしまうのが悲しい。
 現実逃避も兼ねて、長い前髪を掻き分けてやると、ミューシアは嬉しそうに笑う。それは非常に可愛らしかったのだが、その分、リーファの心は、さらなるダメージを受けた。
 可愛らしい女の子が人肉を食べている姿を想像して、衝撃を受けない人間がどこにいようか。


 てきぱきとリーファが猪肉を用意すると、ミューシアは涙目になっていた。余程ひもじい思いをしていたらしい。血塗れになった手を洗い、リーファも食事を取った。
 その時から、体はやけに重かった。精神的にも疲れていた。そして、重くてどす黒い感情が、体中をぐるぐると回りだす。食事の後、リーファは、薪を片付けながら、気を逸らせようと漆黒の天を仰いだ。
 二の舞は踏みたくない。そう思った時だった。
「片付けはしておくから、手前は寝ろ」
 後ろから掛かってきた低い声は、振り返らずともすぐに分かる。
 リーファはシュウの方を見ないようにしながら、頷いた。そして、眠っているミューシアの隣に体を倒す。
 ああ、結局、お礼も言えなかったし、謝ることもできなかった、と思うと、疲れていたはずなのに、なかなか寝付けなかった。薪を片付ける静かな音が消えても、頭は冴えていた。
 リーファは、魔術の明かりを頼りにして、隣で眠るミューシアを見た。
 鮮やかな鱗を輝かせるドラゴン。その姿を思い浮かべた時、リーファはふとあることに気付いた。ミューシアの衣を少しだけ剥ぎ、証拠を探す。
 それは、すぐに見つかった。
 白い肩に刻まれるのは、生命を司る刻印。


 冷たい地下牢。響き渡る声は、嬌声と悲鳴が入り混じっていた。毎晩毎晩、それが途絶えることは無い。
「じゃあ、何でこんなことするの……エレカがいるじゃん……エレカだったら……ここまで酷くはしないでしょ」
 息も絶え絶えで、すすり泣くような女の声。
「あの女のことなどどうでも良い。俺は最初から、お前しか見えていなかった」
 包み込むような広さを持った男の声は、妙に落ち着いていた。
「それに、何故、俺を拒む理由がある? 俺が最も嫌うことを、お前はやった」
 男の笑顔は何処までも深い狂気を孕んでいた。
「愛してるよ、バルベロ」
 男のしなやかな低音が広がった直後、劈くような悲鳴が、冷たい石壁に反響した。
 悲鳴を聞いた男の笑顔は、見る見るうちに深くなった。そして、男はただ一人、声を上げて笑い始めた。闇に沈むこと無き声か、空間を支配した。
 否、支配しているように見えていただけだった。繰り返す苦痛の中で、ぐったりと力なく体を横たえていた女。しかし、鮮やかな青の瞳には、未だに強い光が宿っていた。


 シュウははっきりと言い切れる。
 男の愛している、という言葉ほど、信用できない物は無い、と。だから、シュウも、絶対にその言葉は使わないことにしている。それ以前に、使う相手もいなかったのだが。
「漸く寝ましたね」
 シュウとビアンカは、二人で木の上に登り、リーファが寝付くまでを見ていたのだが、途中、シュウの意識は遠のきかけた。頭痛と吐き気がした。シュウは、慎重に体勢を変えて、木の幹に凭れ掛かった。
「どうしたんですか? さっきからぼけっと。大体、あなた、最近おかしいですよ。唯でさえ、おかしいんですから、これ以上おかしくならないで下さい。手に負えません」
 無茶苦茶だ。知らないからと言って、これはないだろう、とシュウは思った。おかしいのは、リーファだ、と言いたかったが、この前の失言もあったため、何とか抑えた。
「嫌な夢を見たことを思い出していた」
 シュウはそう言った。すると、隣でビアンカが彼是言い始めたが、シュウは聞かなかった。一々反応しているのも面倒だったからだ。
 リーファは、ビアンカに覇王の生まれ変わりであることを知られたくないだろう、とシュウは思っていた。それならは、何も言わずに、自分が覇王の生まれ変わりだと思い込ませていれば良い話だ。
 しかし、このままにしておいてはいけない。いつかは、つまり、リーファが話せるようになったら、しっかりと話をするべきだ。そのためには、何とか自分が誘導しなくてはいけない、とシュウは思っていた。

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