最下層の魔術師
鎖を引き摺る兄弟へ

 レナーサはヴァルシア王太子に対してどのような態度を取るべきかを悩んでいた。というのは、ウェルティア王子の一件以来、ヴァルシアが思い詰めたような表情をするようになったのだ。
 以前はそのような表情を欠片を見せなかった。しかし、最近は増えぬ税収や犯罪者の増加報告を受ける度に気分が優れないと言って部屋で過ごすようになったのだ。
 そもそも、ヴァルシアは体が強いわけではなく、よく体調を崩していた。しかし、最近は特に体調が悪いわけではなくても部屋に籠る。そもそも、ヴァルシアは社交的性格で、人と会話をするのを苦にすることはなかった。しかし、最近は人の輪の中でも黙り込むことが多くなった。
 シュウの一件がヴァルシアに影響を及ぼしていることは明らかだった。
「殿下、御体の方は如何ですか?」
 そんな時にヴァルシアは体調を崩したのだ。レナーサは見舞いに駆けつけ、ベッドに横になるヴァルシアに尋ねた。すると、ヴァルシアは優しく微笑み、大丈夫だよ、ありがとう、と言った。そして、静かに周囲を見渡すと、自分を囲む医者や宮廷魔術師に言った。
「私はだいぶ良くなったから、君たちは席を外してくれるかな」
 ヴァルシアの言葉で医者や宮廷魔術師たちはさっさと出ていってしまった。部屋にはヴァルシアとレナーサしかいない。
「レナーサ、あの時は悪かったね。怖かっただろう」
 ヴァルシアは弱々しく微笑んだ。
「殿下、私は申し上げましたよ。その件では……」
 週の一件後、ヴァルシアは既にレナーサに謝っていた。しかし、レナーサはむしろヴァルシアに謝りたい気分だった。自分の我儘ために、ヴァルシアを無視し続けていたことを後悔していた。そのため、気にしていない、とは言ってあったのだ。
「私は剣が苦手でね」
 ヴァルシアは困ったように笑った。そしてシャンデリアを見上げると、レナーサの方を見た。
「君にはこの王家のことを話しておこうと思う。君は賢いから分かっていると思うけど、これを君の父公爵に報告すると、君の身が危なくなるからね」
「存じております」
 ヴァルシアは他言するな、と言っているのだ。レナーサはクィルニアとしてではなく、レンシスとして生きることしかできないことに気付いていた。ヴァルシアはレナーサを処分するだけの力を持っている。
「これは噂で知っているかもしれない。私はセリシアの子ということにはなっているんだけど、実は庶子なんだよ。セリシアの実子、つまり王太子になるべきだったのは兄だった。ただ、兄はとある理由によって父に疎まれた。だから、私が王太子になった」
 ヴァルシアは淡々と話し始めた。
「父によると、兄は覇王セフィリス・サラヴァンの生まれ変わりらしいんだ。神がそう言っていたようだ」
 そして、声を低くしてそう続けた。
「あの覇王の……」
 レナーサは驚いた。まさか、ウェルティアが王位を継承できなかった理由がこのようなものであるとは思ってもいなかったのだ。しかし、ヴァルシアはレナーサの驚きの表情を見ると、慌てて続けた。
「勿論、私は信じていないよ。兄は優しくて臆病な性格だった。あの時は私も驚いた。あんなことになっているとは思わなかった」
「優しくて臆病でいらっしゃったのですか?」
 レナーサの問いにヴァルシアは頷いた。信じられるはずがない。レナーサにとって、ウェルティアは臆病とは程遠い印象だった。
「私は兄があのような人になっていたことは知らなかった。でも、生きていることは知っていた。私が兄のことを少しでも悪く思えば呪いが効く。それは兄が生きてたいる証らしい。僕は魔術について深く知らないから分からないけどね」
 ヴァルシアはそう言いながら咳き込んだ。レナーサは背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
「殿下、呪いとはどのような呪いなのですか? 誰が何のために?」
 レナーサも魔術や呪いについては詳しくは知らない。だからこそ、不安を覚えた。
「話は長くなる。まずは、兄と僕の関係について話さないといけない」
 レナーサを安心させるかの如く、ヴァルシアは微笑んだ。
「そもそも、兄がこの城を負われたのは私が原因なんだ」
 そう言って、ヴァルシアはウェルティアに出会った時のことを話し始めた。


 幼いヴァルシア王子は城の探検が大好きだった。ある日、いつものように護衛を上手く撒いて鍵のかかった部屋の小窓を覗き込んだ。その部屋にいたのが黒い髪の同じぐらいの年の男の子、ウェルティアだった。ヴァルシアは、部屋の中に閉じ込められている同じくらいの少年に話しかけたが、母親以外の顔を見たことのなかったウェルティアは驚いて毛布の中に入ってしまった。
 しかし、ヴァルシアはしつこくウェルティアのいる部屋に通った。そのうち、ウェルティアも毎日やってくる元気な少年に興味を持ち始め、会話が成立するまでになった。
「ウェルティアのお父さんは誰?」
「分かんない」
 しかし、ヴァルシアは彼が何者なのかを知ることはできなかった。
「お母さんは?」
「いるけど、僕は嫌い」
 その言葉から、私生児であることは分かっていた。しかし、どのくらいの家柄の子どもなのかは全く分からなかった。
「どんなお母さん?」
「嫌なお母さん。いつも僕をここに閉じ込めているし、僕が馬鹿なこと言うと怒る」
 部屋に閉じ込められていたウェルティアだが、知識だけはあった。そして、それを運用する力もあった。彼は母による英才教育を受けていた。
 彼の母王妃は王に命じられたようにヴァルシアのの母として振舞いながら、隠し育てていた我が子の即位を狙っていた。


 ヴァルシアは咳き込みながら話していた。
「ある日、彼は自分の母親が王妃であることを知った。僕は兄が嬉しそうに僕が弟だと言った時、私は兄に王位継承権を奪われるのではないかと危惧した。その頃の私は、王妃が私の母ではないことに気付いていて、そのことに対して劣等感を持っていた。それと同時に、王太子であることが唯一の誇りだった」
 貴族の兄弟が仲良くできることは少ない。それをよく理解しているレナーサは、普通に流すこともできるはずだった。しかし、二人の関係は多くの兄弟とは違うように感じたのだ。
「ウェルティア王子は、王位が欲しかったとは思えません」
 レナーサは、ウェルティア王子が王位継承権に頓着しない人間のように感じた。ウェルティアはシャーナの魔術師であるリーファと共に城にやって来て、一暴れするとすぐに消えてしまった。彼には王位継承権など興味がないことは明らかだった。
「それどころか、兄は地位や身分すら欲していなかったんだよ。当時の私はそのことに気付けなかった」
 ヴァルシアはゆっくりと息を吐いた。
「私は陛下に相談に行った。勿論、私のことを気に入っていた陛下が、兄を排除してくれることを理解した上でね」
 レナーサは息を呑んだ。レナーサは現国王が苦手だった。国王はヴァルシアのことを可愛がり、レナーサのことを嫌っていた。国王自身が決めた結婚なのだが、愛息子の結婚相手は憎いらしい。それだけではなく、国王は狡賢いところがあった。それは国王として悪い要素ではないのだが、現国王は度が過ぎていた。
「陛下は私と兄の目の前で、王妃を虐待した。兄は虫の息の母王妃に縋り、その後王妃の魔術の助けを借りて逃げ出した」
 レナーサは気分が悪くなった。虐待の意味を知らないわけではない。
「怖かったんだろうね。目の前で母を虐待されて。兄は、変わり果てた王妃の姿を見て、兄を陥れた私を褒める陛下の言葉を聞いた。その時の兄の表情は忘れられないよ」
 ヴァルシアは自嘲を浮かべた。酷く辛そうな表情だった。
「兄の顔を見ていたのは私だけではなかった。王妃は、私に呪いをかけたんだ」
 そこまで話してから、ヴァルシアは黙り込んだ。レナーサは何を言おうかを考えた。ヴァルシアが待っているような言葉が思いつかなかった。
「王妃殿下はウェルティア王子のことを愛していたのですね」
 レナーサは素直に感想を述べた。息子を本人の意思と関係なく玉座につけるために閉じ込めていたものの、彼女は息子を愛していたのだ。
「本人は気付いていないようだったけど、あの人は愛さていたよ。嫌われるような性格ではないんだよ」
 ヴァルシアはそう言って、天井を見つめた。しかし、すぐにレナーサの方に視線を戻し、話を続けた
「呪いについては、体を蝕む呪いであることは分かっているんだけど……王妃は国一番の魔術師だったから、誰もこの未知の呪いを解けなかったんだよ」
 でも、死にはしないからね、とヴァルシアは続けた。
「ウェルティア王子はそのことを御存知なのですか?」
 もし、ウェルティアがこれを知っていたとすれば、ヴァルシアに刃を向けるようなことはしないだろう、とレナーサは思っていた。
「言うわけないだろう。私が王妃に呪いをかけられたことを告げれば、優しく律儀な兄だ。私を恨まなくなるだろう」
 ウェルティアに対する認識は間違っていなかったと安心する反面、レナーサの中に新たな疑問が浮かんだ。
「どこか不都合があるのですか?」
 そう尋ねると、ヴァルシアは弱々しく微笑んだ。
「せめて兄には、自由に恨んで貰いたいんだよ」
 そう言いながら、ウェルティアは咳き込んだ。
「悪いね、君に酷いことをした人なのに、私は未だに兄を兄だと思っている」
 ヴァルシアは咳と共に苦しそうに言葉を零した。
「殿下、良いのです。当然のことです。そして、それはとても大切なことです」
 ヴァルシアとウェルティアが幸せになるために、それは必要なのだ。
「殿下、ウェルティア王子が連れていた私の友人の魔術師を覚えていますか?」
 ヴァルシアは、ええ、と戸惑いつつ頷いた。
「彼女なら、呪いを解けるかもしれません。彼女とは連絡がつきませんが、会った時には頼んでみます」
「彼女の隣には兄がいるよ」
 レナーサの提案にヴァルシアは間髪入れずに言った。その言葉に、思わずレナーサは微笑を浮かべた。
「彼女は確りと手綱を握ってくれるでしょう」
 レナーサはヴァルシアを安心させるためににっこりと笑うと、続けた。
「正体不明の呪いなど心配で仕方がありません。宮廷魔術師が駄目なら、彼女に頼むのが一番でしょう」
 レナーサがはっきりとそう言うと、ヴァルシアは少しだけ困ったように笑った。
「確かに相当腕の立つ魔術師らしいね」
 そう言って、ヴァルシアはゆっくりと息を吐いた。
「レナーサ、心配してくれてありがとう」
 ヴァルシアは目を細め、ふわりと笑う。
「当然のことです」
 レナーサがはっきりとそう言うと、ヴァルシアは、ごめんねとくすくすと笑いながら謝った。
「呪いを解こうと思えたよ」
 最初よりも幾分か明るい声だった。
「解きましょう」
 レナーサは力強く言った。ヴァルシアが呪いは罰なのだと考え、解くことを諦めていたことはレナーサも薄々気付いていた。
 レナーサの隣にいた人物は、放っておくことができないような人間だった。罪の呵責に自ら苦しむ道を選ぶような酷い精神状態にあった。レナーサはリーファの数ヶ月前の言葉を思い出した。レナーサ、支えてあげなよ、という言葉を噛みしめながら、苦戦を強いられているであろうリーファを想った。
 不幸に不幸を重ねてきた兄と、その一番の理解者であるがために苦しむ弟。兄を兄だと思っている、という言葉は決定打だった。目指すは不幸な兄弟が解放され、かつてのような関係に戻ることだ。
 ヴァルシアが眠りに落ちたのを確認してから、レナーサは部屋を出た。廊下には煌々とシャンデリアが輝いていた。


 夜の森は静かだった。静かであるということは、墮天使とドラゴンは寝ているということである。
 リーファとシュウは二人で火を囲んでいた。
「そういえば手前は親とかいねぇのか?」
 シュウが唐突にそう尋ねた。リーファは驚いてシュウの顔を見た。今さらな質問である。
「物心ついた頃には死んでいたよ。兄が四人いたけど、投獄される前にみんな死んじゃった」
 リーファはそう答えると、シュウの表情を窺ったが、そうか、とシュウは興味なさそうに呟いただけだった。リーファはそんなシュウの顔色を確認した後、気になっていたことを尋ねることに決めた。
「ねぇ、シュウは故王妃のことを覚えているよね」
 そう尋ねてすぐに顔色を見る。シュウは顔色一つ変えずに炎を見ていた。
「大嫌いだったがな。虎視眈々とあいつを消そうと思っていた」
 吐き捨てるような回答を予想通りだと思いながら、リーファはもう一つ用意していた質問を尋ねる。
「あんたをシュウと名付けたのは?」
「あいつだな」
 即答だった。シュウはさらに続けた。
「比較の問題だ。もう一つの選択肢があの名前だったからな。元々の名前は臆病者の狐爺の名前からとっているんだぜ?」
 臆病者の狐爺が国王であると言うことは明白だった。
「弟も嫌いなんだよね。誰が一番嫌い?」
 しかし、リーファは彼が王妃や国王よりも、弟を嫌っているように思えた。
「最低な奴等に順位なんてつけられねぇよ。考えるだけでも吐き気がする」
 ああ、だからこの人は王家が嫌いなのだ、とリーファは思った。


「ヴァルシア、ヴァルシア」
 少年は初めての友達が弟だと分かった時、いても立ってもいられなかった。
「僕の母は王妃様だって。僕はヴァルシアのお兄ちゃんだって」
 だから、これならはもっと仲良くしようね、という気持ちを込めてそう言った。嬉しかったのだ。母以外に家族がいて、それが大好きな友達だったのが、ウェルティアはとても嬉しかった。

「ヴァルシア、素晴らしい。その年で政敵を排除するとは。流石私の息子だ」
 汚れた母、母を汚した父、裏切り者の弟。その全てが憎たらしかった。少年はそれを知っていた。女騎士の記憶を持った少年は、彼女の記憶と目の前の母親を重ね、自分が何者であるのかが分からなくなってしまった。
「全ては覇王のせいなんだよ、ウェルティア」
 覇王に為す術もなかった女騎士も、全ての元凶の覇王も恨んでいた。そして、自分の憎悪を掻き立てる神をも恨んだ。
 彼は利用され、嫉妬され、恨まれ、苦しむ価値を持った人間だったのだ。


 リーファに兄がいたと言うことはシュウにとっては意外なことだった。世話を焼くのが好きなリーファは四人兄妹の末っ子という事実と繋がらない。シュウは尋ねた。
「お前は兄貴と仲が良かったのか?」
 リーファはそうだねぇ、と言って笑った。リーファは出会った時頃こそ感情的になることもあったが、基本的には落ち着いた性格で、微笑を浮かべることが多い。
「うん、よく面倒を見てくれた。勿論、兄妹だから腹が立つこともあったけどね」
 リーファは穏やかに笑った。

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